本日休業

「本日、悪魔で執事は休みでございます。坊ちゃん、天気が良いですね。一緒にリージェントパークに行きませんか。ぶっちゃけ、デートの誘いです。…嫌ですか。そうですか。ではひとりで行って参ります」
悪魔は言いたいだけ言うと、肩を落としてしょんぼり部屋を出て行った。
「待て、セバスチャン」
突然の申し出に、この悪魔の頭は沸いたのかとシエルは思った。確かにたまには休めと言ったが、それはからだを休めろという意味で、決して自分にデートの誘いをさせるためではなかったのだ。
「なにを言っているんだ、お前は。くだらんことを言っていないで、さっさと休め」
「坊ちゃん、暇なのです」
困ったように眉根を寄せる。
「それはそうだろう。休日なんだから忙しかったら困る。部屋でも、庭でも行ってのんびりしていたらどうだ」
「屋敷ではのんびりできません。なんといってもあの3馬鹿トリオ+2がいるのですから」
いつ何時、厨房が爆発したり、シーツが泡まみれになるかわからないと不安そうに言う。言われてみれば、せっかくの休日に屋敷にいたって、気分が落ち着くはずがない。シエルは悪魔を見た。
(少し、痩せたんじゃないか)
現し身とわかっていても、心配になる。弄んでいたペンをコツッと机に置いて、立ち上がった。
「今日だけだ。それでいいなら…」
ぱあっと悪魔の顔が明るくなった。シエルを抱き上げて、瞬く間に馬車に乗せる。
「では、出発いたします」
走る馬車の窓から入る涼しい風に髪をなぶられて、たまにはこんな日もいいのかもしれないと思った。

***
「……で、なぜ、リージェントパークなんだ!?」
ロンドンの数ある公園の中でも、リージェントパークは最もドメスティックな公園である。乳母車を押す家族連れ、服装もみすぼらしい庶民のカップル、よたよたと歩く老夫婦。その合間を餌目当てのリスがちょろちょろと走り回っている。ロンドン市民の普段遣いの公園。
「家庭的なあたたかい雰囲気に浸ってみたいと思ったのです」
やっぱり今日のこいつはちょっと変だ。休めなんて、常にないことを言ったからか。とことんこき使わないと、調子が出ないのかもしれないな、こいつは。そんなシエルの腹の中を知って知らずか、池の畔に場所を決めると、悪魔は籐のピクニックバスケットを取り出し、やっぱりデートは形からですよねと、薄気味悪くにこにこと笑う。
「はい、坊ちゃん、あーん」
「きもい!!」
即拒否にめげる様子もなく、お気に召さなかったですか、ではこれをと別の料理をピックに刺して、シエルの口に押し込む。
「んんぐ」
うまい。うずらの卵とチェダーチーズのパイだな。シエルは文句を言おうとした口を閉じて、もぐもぐと味わった。サクッとした塩味のパイに濃厚なチーズが絡む。ふと妙な気配を感じて傍らの悪魔を見ると、目を瞑って大きく口を開いている。
「…ッ…、お前、なにしてるんだ!!」
悪魔は薄目を開けて、こう答えた。
「坊ちゃん、本日私めは、悪魔も執事もお休みです。つまり、ただの男です。坊ちゃんの恋人です。ですから……」
「お前はっ!昼間から恥ずかしいことを言うな!!」
怒鳴り声をどこ吹く風とやり過ごし、白々しく悪魔は続きを言ってのけた。
「ですから、私に『おかえし』をください」
「はあああッ!?」
おかえし?おかえしってなんだと、シエルが重ねて聞く。
「そのピックで、パイを刺して、私の口に、ぽいっと…♡」
おかしい、今日のこいつは絶対おかしい。シエルの額に汗が浮かんだ。悪魔は目を閉じ、口を開けて待っている。
(そのへんの石か砂でも押し込んでやろうか)
地面を見回していると、悪魔はこっそり片目を開いてその様子を盗み見ている。
「坊ちゃん。食べ物じゃないものは嫌です」
情けない声で言う。その口調にシエルはほだされた。急に愛しさがこみ上げて、身を乗り出し、半開きの薄い唇にちゅっとキスをした。
「…!…」
悪魔が驚いて目を見張った。
「『おかえし』だ!これで、いいだろッ」
たちまち悪魔の頬が上気して、うるうると目が潤んでくる。
「坊ちゃん…!!」
言うなり、ぎゅうと抱きしめて、エリザベスがするようにぶんぶんとシエルを振り回した。
「お前、やめっ、目が回る、こらっ…」
突然動きを止めると、ちゅうっとシエルの唇を吸った。温かい舌が潜り込む。
「…ん!」
両手で肩を押して離そうとしても、びくともしない。シエルは焦った。顔を無理矢理反らして
「だめだっ、人目があるだろう。落ち着けっ」
ふうっと大きく息を吐いた悪魔は、深紅に燃えさかった瞳でシエルを見つめた。
「……では。人のいないところへ参りましょう」
脇にシエルを抱えて、人とは思えない速度で馬車に戻る。
「『らしく』しろと、あれほど…」
「我慢できません」
稲妻の如く猛スピードで馬車を走らせ、着いたところはどこぞの森の奥。さっきまでの賑やかさと打って変わって、静まりかえっている。湿った植物の匂い。遠くで雲雀がさえずっている。
「では…坊ちゃん」
手袋を脱いだセバスチャンの指がシエルに触れる。どきんとシエルの胸が波打った。日の高いうちに、求められるのははじめてだ。一瞬、紅い瞳と目が合って、思わず瞼を伏せた。
「あ…」
耳朶に熱い息を感じて、声が漏れる。緊張で強ばっていても、そっとくちづけられれば、からだは柔らかくほどけてしまう。眼帯がしゅるると解かれ、リボンタイもシャツのボタンもはずされて、素肌をまさぐるセバスチャンの指。あとはそのまま。欲望のままに……。

やがて日が傾き、夕暮れの太陽が辺りを琥珀色に染める頃になっても、ふたりは屋敷に戻らなかった。

そんな休日。

FIN