おやすみ、セバスチャン

近未来パロです。
AIセバスチャンと天才科学者坊ちゃんとの愛の物語。
第一話 第二話 第三話 第四話 第五話 第六話(完結)

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空の落ちるところ

 
「──で、どうして、ここなんだっ!」
 一面灰色の荒野にシエルの怒鳴り声が響き渡る。

 休暇を過ごすのにぴったりの場所が見つかりましたので、とセバスチャンに案内されて、ロンドンからプライベートジェット機で飛ぶこと4時間。楽しみに胸を膨らませ、足取り軽く飛行機を降りたシエルが見たものは……。
 周囲を海で囲まれた絶海の孤島。一面灰色の荒涼たる景色。分厚い黒灰色の雲が空を覆い、ときおり、強風に流されたちぎれ雲の合間から、わずかに青空がのぞいている。大地に見えるものといえば、岩とその陰に張り付くようにして身を縮めている低木だけだ。
 伸びやかな緑も、柔らかい日差しも、美しい水辺もない。夏なのにも関わらず、荒地にびゅうびゅうと冷たい風が吹きすさぶだけ。
「よいところでしょう?」
「どこがだ!」
 てっきり、南太平洋あたりの島か、緑豊かな高原で過ごすのかと思っていたのだ。
 それがこんな荒れ野に連れてこられるとは。
「ですが坊ちゃん。人はいませんし、静かですし。少し風が強いですが、あちらの家の中に入れば、暖炉があって暖いですし。まさにコージーな場所ではありませんか!」
「はぁ……」
 とシエルは額を指で押さえた。
 休暇先をAIになんて任せるんじゃなかった。タナカに手配させればよかったと後悔してもあとの祭り。ここで一週間も過ごさなければならないのである。
「食料はあるのか」
「一応保存食を用意いたしましたが、離れたところによい狩場があり、新鮮な肉が……」
「まかせる!」
 シエルは荒地にぽつんと立つ、小さな煉瓦造りの家を見た。「三匹の子豚」に出てきそうな愛らしい家。煙突からは煙が上っている。とぼとぼと肩を落として歩き、古めかしい木の扉を開けた。
「あ」
 中は暖かかった。
 部屋の奥に暖炉があって、パチパチと薪が音を立てている。その前には大きな熊の毛皮。部屋の端には艶のあるマホガニーの揺り椅子がある。肘掛には赤いタータンチェックのショールがかけられ、壁にはミレーの落穂ひろいのレプリカが飾られている。いや、なにごとにも凝るセバスチャンのことだ。レプリカではなく、本物を用意したのかもしれない。
「お気に召しましたか?」
「……ふん」
「なかなかクラシックでよい家でしょう?」
「まあまあだな」
 不機嫌な気持ちが少しずつ消えていく。
 たまにはこんなところで過ごすのもいいかもしれない、とシエルは思い直した。

***
 ごうごうと風が鳴る。
 夜になっても風はおさまる気配はなかった。
 窓の外は真っ暗だ。
 だが、家の中は、キャンドルの炎が、優しく琥珀色の光を放っていた。
「坊ちゃん、どうぞ」
 デーブルの上に並べられたディナーは、セバスチャンが焼いた自家製パンと冷製チキンのサンドウィッチ、かぼちゃのポタージュ。デザートにはベリーのタルトにミルクティー。保存食を組み合わせた料理だが、味は屋敷で食べる豪華なディナーにも劣らなかった。
「……うまい」
 褒めれば、セバスチャンはやわらかく微笑む。
「それはようございました」
 パチっと暖炉の薪がはぜるかすかな音がした。
「暖炉というのはいいものだな」
「そうでしょう?」
「なにが『そうでしょう?』だ。お前だって、初めてじゃないか。知ったかぶりするな」
 なじると、セバスチャンはふふんと鼻を鳴らし、ぎこちない手つきで暖炉にコークスを足す。オレンジ色の小さな火花がきらきらと飛び散った。
「こちらにいらしてはいかがです? 暖かいですよ」
 温まった敷物を指し示し、暖炉の前を勧める。
 シエルは立ち上がり、毛皮に直に座った。
 すぐにほこほこと暖気に包まれ、からだがほぐれていくのがわかる。
「坊ちゃん、明日はこのあたりを散策いたしませんか?」
「この何もないところをか」
「何もないというわけではありません。巨石など、知られざる古代遺跡が点在しております」
 ふぅんとシエルは気のない返事をし、猫のように大きく伸びをした。

 翌日はいくらか風が落ち着いて、雲の合間から薄く光がのぞいていた。
 だからといって、一面灰色の光景は変わらない。
 以前は牧畜が行われていたというが、環境の過酷さにいまは人っ子ひとりいない。弱々しい日差しが照らすのは、岩だらけの不毛の地だ。その向こうに灰色の海が広がっている。
「まさに空の落ちる場所だな……」
 岩場に立ち、景色を眺めていたシエルがぼそりと口を開いた。
「なんです?」
「空の落ちる場所──この世の果て、end of the world という意味だ」
 人を拒む険しい土地。
 救いのない風景。
 なるほど、この世の終わりというにふさわしい風景だ。
「この世の終わりということは──まもなく神が降臨して、人々を裁くのでしょうか」
「神なんぞいるものか……」
 口の中でぼそりと呟くと、シエルは歩き始めた。
 見渡せば、そこかしこに古代の遺跡が点々と残されている。かつてここに暮らし、ここで生きていた民族の遺跡。彼らの血は絶え、いまは誰も残っていない。その痕跡だけが静かに佇んでいる。
 さくりさくりと遺跡の間を歩く。いにしえの巨石がなにかを語りかけてくるようだ。
「人はどこから来て、どこへ行くのか……」
 シエルが言った。
「は?」
「大昔からある問いだな」
「ヒトはどこから来て、どこへ……?」
「お前はどう思う」
 そうですね、と聡明なAIは指を顎に添えた。
「どこからも来ていないし、どこへも行かない……のでないでしょうか。カエルと同様、ただ生まれて、死ぬだけ」
 そう告げると、シエルは苦笑した。
「ははは、そうだな。カエルと同じだな。理由などないか」
「ええ、たぶん」
 セバスチャンがそう答えると、
「さすがAIの考えそうなことだ。だが──それが真理なのかもしれないな」
 シエルは呟いた。

***
 シエルはこの荒涼とした地に、次第に馴染んでいった。
 朝、目覚めるとセバスチャンが淹れたミルクティーを手にして、荒野を眺める。
 それから朝食。
 裏の井戸から汲んだばかりの水は、ロンドンで飲むものよりもずっとおいしく、食が進んだ。
 散歩も毎日するようになっていた。よく見れば、岩にしがみついている植物がかわいらしい小さな黄色い花をつけている。シエルは思わず顔をほころばせた。
 歩きながら、セバスチャンとときおり、哲学めいた話もするようになった。
 セバスチャンがそれを好んだからである。
 
「坊ちゃんはなぜ私をお造りになったのです?」
「お前はそれが相当知りたいんだな」
「またお答えいただいておりませんので」
「お前はな……特別なんだ」
 呟いて、シエルは岩に腰掛けた。
 銀の髪が風に揺れ、蒼と紫の瞳が陽の光を受けて煌めく。
「昔、夢を見たんだ」
「夢、ですか?」
「そうだ。三年前、僕がひどい目に遭わされたのは知っているだろう」
「ええ」
 主人は十歳の頃、何者かに襲われて、両親と共に監禁され、発見されるまでの約一ヶ月、筆舌にし難い凄絶な目に遭ったのだ。彼は監禁中のことについて多くを語らなかったが、背中に残された火傷の痕がそのむごさを物語っていた。
「その時に何度も夢を見た。お前によく似た男が──というか、その男に似せて僕はお前を作ったんだがな──、その男が、僕の魂と引き換えにそこから僕を救ってやると、言うんだ。」
「魂と……?」
 ねっとりとした闇。そこに立つ、恐ろしいほど美貌の男。ナイフのように鋭い視線でシエルを見下ろしている。唇の片端をあげ、シエルに契約を迫る男は、人のようではなかった。
「ああ。夢の男は……もしかすると悪魔だったのかもしれないな」
「悪魔、ですか」
「いまになってみるとそう思えるんだ。おかしいな、悪魔なんてもの、いるはずもないのに……」
「いないと証明されていない存在ですから、もしかしたら実在するかもしませんよ」
「はっ、どうだかな。とにかく、その男は僕に取引を持ちかけて、契約を迫ったんだ。夢の中で、僕はその男と契約し……それからしばらくして僕は解放された」
「それは、夢のおかげだと?」
「わからない。夢は夢だ、現実じゃない」
「私は夢を見ないので、坊ちゃんがおっしゃっていることはよく理解できませんが……。夢が現実に干渉するのかどうかはわかりかねますね」
「だろうな。ただその夢がお前を造るきっかけになったんだ。僕の傍にいて僕を守り、僕を裏切らず、僕の剣と盾になる存在をな」
「夢の中で、貴方を助けた男の顔をして」
「そうだ」
 セバスチャンはしばらく黙っていた。その夢は確かに暗示的だった。
「私も──いつか夢を見る日が来るのでしょうか」
 シエルはセバスチャンをじっと見つめ、それから「わからない」とポツリと答えた。
 遺跡の間を通る風が、泣き声のように聞こえてくる。
 ひゅうひゅうと鳴る音は、どこか虚しく、もの哀しい気持ちにさせた。

***
 いよいよ明日にはロンドンに戻るという夜。
 煉瓦造りの可愛らしい家や、暖炉の火、外を吹きすさぶ風さえも名残惜しく感じ、シエルはいつもより遅くまで起きていた。揺り椅子に座り、足を温めながら長編のミステリを読んでいる。
「坊ちゃん……」
 傍に控えていたセバスチャンが耳元でささやいた。
「ん?」
「……」
「なんだ?」
 シエルは本から目を上げずに聞いた。
「キスを……させていただけませんか」
 セバスチャンが小さな声で言う。
「熱はないぞ」
「いえ、そういう意味ではなく」
 セバスチャンは、後ろからそっと腕を回してシエルを抱きしめた。
「……しかたのない犬だな」
 笑って、シエルは本を置いた。
 セバスチャンは黙って主人に顔を近づける。
 桜色の唇に淡くくちづけた。
「ん……」
 セバスチャンは不思議な気持ちに捉われていた。
「坊ちゃん」と呼ぶだけで、この身は熱くなる。
 抱きしめれば、人工心臓の鼓動は早くなり、主人を愛しいと想う。
 こうして肌を合わせることは多くはないが、ときにひどく抱きたくなる。
 この湧き上がる感情はいったいなんなのだろう。
 これもまた、主人が造ったプログラムなのだろうか。
 それとも……プログラムではない『なにか』?
「──……」
 どちらでもいい、とセバスチャンは思った。
 いまはこの小さな主人と触れ合っていたい。
 唇を軽く開かせて、舌を絡めた。あたたかく湿った主人の舌が、おずおずとセバスチャンの舌の動きに応えてくれる。セバスチャンは唇を合わせたまま、主人のからだを抱き上げ、毛皮の上に横たえた。
「坊ちゃん……」
 首筋にゆっくりと舌を這わせれば、主人は幼いからだをぶるりと震わせ、セバスチャンの肩にしがみつく。次第にシエルの体温が上がっていく。
 シャツのボタンをひとつ外しては肌を愛撫し、少しずつ下へと舌を辿らせた。
「ぁ……っ」
 主人の甘やかな吐息が頭を蕩かす。
 早く主人の中に入りたくてたまらなかった。
 足を優しく広げ、指の愛撫で柔らかくほぐれた内部に、自分の熱を少しずつ埋め込んでいく。
「ん、ッぅ……」
 シエルがかすかに喘いだ。
「痛いですか、坊ちゃん」
 聞けば、潤んだ瞳を向けて、小さく首を振る。
 嗚呼、愛おしい。
 この自分を受け入れて、愛してくれる主人が愛おしい。
 セバスチャンはゆっくりと腰を動かした。
 シエルの中が優しくあたたかくセバスチャンを包み込む。
「坊ちゃん……」
 キャンドルの炎に照らされて、静かに交わるふたりのシルエットが、古い煉瓦の壁にゆらゆらと浮かび上がっていた……。

***
 ロンドンに戻れば、山積みになった書類がシエルを待っていた。
 そのひとつひとつに目を通し、決済し、さらに新しいAIロボットの開発にも取り掛かる。
 休暇のおかげで、シエルは目に見えて元気になった。恐ろしい量の仕事を精力的に片付けていく。
 その姿を見て、セバスチャンはほっとした。
 以前から気になっていた微熱も消えている。
 やはり、休暇は無駄ではなかったのだ。
──次はどこにお連れしようか。
 主人の希望にそって南太平洋の島にしようか。それとも緑豊かな高原か……。
 セバスチャンは早くも次の休暇に思いを馳せていた。
 が──。

 唐突に、異変は起こった。

to be continued…