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その1
よくわからない種をもらった。
通りすがりの娘が飛び切りの笑顔で「ハイ!」と言って渡したのだ。なにが「ハイ!」なのかわからなかったが、勢いで受け取ってしまい、今更困った。
なぜかと言えば、家に庭がないからだ。
小さな鉢に植えればいいだろうって。
いやいや。
「ジャックと豆の木」みたいな巨木に育ってしまったらどうするのだ。自分の安フラットなど、あっけなく崩壊してしまう。さらにその木を伝って、天から巨人が降りて来たら、近所にも大いに迷惑だ。
しかたなく、セバスチャンはなんだかわからないその種をキッチンのテーブルに放り投げ、そのまま忘れてしまった。
数日経って、トーストにジャムにインスタントコーヒーという味もそっけもない、男の一人暮らしを絵に描いたような朝食をとっていると、妙に近くから音が聞こえる。音、というよりは、鳴き声のようなもの。セバスチャンはあたりを見回した。
そんな音が出るようなものは、置いていない。
空耳だろうか。疲れているんだな。
トーストをひと口齧ったとき、また音がした。いや、声だ。
「おいっ!」
なんだか妙に甲高い声。
え、誰かが我が家に……と立ち上がって、ブリーフをずり上げ(だってほら、一人暮らしだから。隙のある格好でくつろぎたいでしょう?)、今度は真剣に部屋を確認し始めた。
と、そのとき。
テーブルの隅に、なにか青黒いものがあるのに気づいた。それは、カタカタと動いているようだ。警戒しながら、ゆっくりと近づく。近づいていく最中にも「おいッ! 聞こえないのか、おいっ!」と声は続く。苛立っているようで、どんどんソレの口調が剣呑になっていくのが、怖い。
さていざテーブルの、そのキウイほどの大きさのもの。それはまぎれもなく何週間か前に、見知らぬ娘からもらった種だ。いつのまにか大きく育っている。いまではその娘の顔も声も、そしてもらったことすらも忘れていたことを、ようやく思い出した。
「おいっ! 開けろ!」
種は確かにそう言っている。
セバスチャンはおそるおそる腕を伸ばし、種を手に取った。
「おいっ」
やはり声はここからだ。首をかしげて考えている間も、おい、おい! とうるさい。
しつこい種だな。
あまりよい予感はしない。
かといって、このまま放っておくと、なにをしでかすかわからない気もする。
ほどほどのところで妥協したいセバスチャンは、思い切って種に声をかけた。
「あの……」
「死ぬ! もうすぐ僕は死ぬ! 早く、ここから出せ! バカ」
なんの関係もないただの種に「バカ」と言われた。ここから先に進めば、もっと罵られるかもしれない。
セバスチャンは、種をテーブルに戻して、テレビの前に座った。ちょっと乾いてしまったトーストを口に入れ、冷めたインスタントコーヒーで流し込む。
「あ、バカ、死ね! お前が死ね! いま手にしただろ? 戻すな、おい、おいっ!」
死ね? ますます悪い予感しかしない。テレビのボリュームを上げて、だんまりを決めこんでいると、今度は声がだんだん小さくなってきた。
「……お、い……、お前……お……」
かぼそい。
まるで死にそうな声だ。本当に死んでしまうのだろうか。
いや、たかが種ごとき、死んでもなにも困らない。これまでの二十数年、種なしでやってきたじゃないか。そう自分に言い聞かせ、見たくもないテレビに集中した。
「…………」
種はすっかり沈黙してしまった。
こうなると、今度は不安である。自分にはなんの責任もないとはいえ、寝覚めが悪い。少なくとも死んだのなら、どこかに埋めてやらねばなるまい。
セバスチャンは立ち上がり、そっと種をつまんだ。
その瞬間。
パ・チ・ンとひ弱な音がして、種がパラパラとはじけ飛んだ。
<<中略>>
「からだが臭い。風呂に入りたい。さっぱりしたい」
コンビニで暴れて、汚れたままだ。これではさぞかし気持ちが悪いだろう。
さて、とセバスチャンはしばし考える。
こんな小さいイキモノが入れるバスタブは……。
おもむろにセバスチャンは片手鍋に水を入れ、沸かし始めた。
その間に、景品でもらった安手のティーカップを棚から取り出し、ちょうど沸いたお湯を注いで、適当に水で薄めた。
シエルに声をかけると、ぱっぱと服を脱ぎ、文字どおりすっぽんぽんになって、あっという間に湯船に飛び込んだ。
途端。
「あづいぃいっ!!」
すぐに飛び出た。
「ちゃんと湯加減を見ろ!」
頭から湯気を立てて怒っている。
これで熱いのか、とセバスチャンは小指を入れる。今度は少しずつ水を注ぎ、温度を調整した。
「坊ちゃん、いかがでしょう」
そろそろとシエルは足を入れ、それからほっとしたように全身を浸した。
「ふん。まあまあだな」
満足そうに、ティーカップの中で手足を伸ばす。
──可愛い……。
その様子にまたもやキュンとした。
キュンとした気持ちの持って行きようがないことは、いまは考えない。なに好きなものは好きなのだ。好きなだけ愛でればいいではないか。
「おい、石けん!」
険しい声に、セバスチャンは甘い夢から醒めた。
「え」
「石けんをよこせ」
またもや難題だ。プチサイズの石けんなど持っていない。
いや正直に言うと、石けんすらないのである。しかたなく浴室の終わりかけのシャンプーを取ってきて、ひとしずく湯船に垂らす。かき回すとたちまち泡が立って、バブルバスの出来上がりだ。
「うわあ、いいぞ!」
ご機嫌である。泡であちこちを洗い、それからふと動きを止めて、上目遣いにセバスチャンを見上げた。
「折り入って、頼みがある」
あらたまってなんだろう。
「髪を洗ってくれないか」
「え?」
「その……自分で洗うのは苦手なんだ」
ドキリとセバスチャンの心臓が波打った。いかにも恥ずかしそうな物言いは男心をそそる。では、と親指と人差し指を使って、つまむようにそっと銀の髪に触った。
シエルは泡が目に入らないように、目をぎゅっと瞑っている。
「くすぐったいぞ」
ふふふとシエルは楽しそうに笑う。艶めいたその声にクラッとよろめきながら、新しいお湯で髪をすすいだ。
「ああ、せいせいした」
シエルはよいしょっと、ティーカップバスから出て、手渡されたミニタオルでからだを拭き始めた。
小さなシエルの小さなソレをじっくりと観察する。
──ちゃんとついているんですね。
小さくても立派なソレをじっと見つめていると、いきなり怒鳴りつけられた。
「こらぁっ、お前、じろじろ見るなっ! 失礼だろ!」
「うあぁっ、すみません!」
やましいところのあるセバスチャンは、亀のように首を縮めた。
<<中略>>
シエルは顔をほころばせて、はぐはぐとセバスチャンが作った朝食を食べている。その姿を見るだけで幸せだ。
──嗚呼、できれば。
セバスチャンは願う。
できれば、したい。
恋心は募る一方。なにしろ毎夜、入浴で愛らしい裸を見ているのである。いやらしい妄想をしてもいたしかたない。
だが、なんといっても相手はあのサイズ。
「どうやって、すればいいんですかね」
ぽつり、とひとりごちる。
煩悩にさいなまれるセバスチャンの脳裏に、さらに大きな障害が浮かび上がった。
「大体、私のことをどう思っているのでしょう」
そういう気持ちを持ってくれているのか、それとも全然意識していないのか。彼の気持ちがわからないうちは、コトに及べない。
しかし、どうやって気持ちを聞き出そう。いや、もし仮に自分を想ってくれているとしても、どうすればいいのだ。気持ちだけではサイズの差は解決できない……。思考は同じところをぐるぐる回るばかりである。
と、強く視線を感じた。
顔を上げると、シエルがじっとこちらを見ている。もしや心の中を見透かされたかと、ドキッとした。
「お前、上達したな」
「エッ?」
「これ、うまい」
スコーンを指差す。
「……そう、ですか」
「ああ。格段によくなった、すごくうまいぞ」
「それは光栄です」
頭を下げれば、シエルが含み笑いする。
「態度もよくなった。以前はだらしなかったからなあ」
それほどだらしなかった覚えはないんですけどね、とセバスチャンは心の中でぼやく。
「あとは……服装、だな」
「は?」
「お前、そういう服しかないのか? まるで似合っていないぞ」
セバスチャンがいま着ているのは、衿が伸びたリーバイスのTシャツに、着古してちょうどいい具合に柔らかくなったスエットパンツ。家ではできるだけ楽な格好で過ごすというのが、怠け者のセバスチャンの主義だった。
「……結構、カッコいいのにな。もったいない」
シエルがちろっと流し目でセバスチャンを見た。その視線にヤられた。
「カッコいい、ですか」
「ああ」
呟いて、シエルはさっと横を向いた。耳が赤く染まっている。
──え……? この反応は。
ーーーサンプルは以上です
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