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願い

突然アニメ陰陽師にはまってしまい、
勢いで書いた黒執事とのクロスオーバーものです

2023.12.21

 頭に乗せた烏帽子よりも小さな顔をした少年が、世捨て人のように都の外れに住む異端の陰陽師を訪ねてきたのは、ちらほらと雪の降る小正月のことだった。ふたりの女童に案内されて、酒の杯を傾けている陰陽師の前に立った少年は、
「頼みごとがあってやって来た」
と仁王立ちになって陰陽師を睨みつけた。
──ほう。なんの挨拶もせず、都随一の陰陽師と恐れられる私と対峙するとは、なんと度胸のあることよ。
 片眉を上げて見下ろせば、恐ろしいほどの白皙の美少年である。烏帽子の下から覗く髪は白銀色。空をうつした海のように蒼い双眸が、陰陽師を見据えている。
 こんな瞳の色は初めて見た。いつもなら依頼など内容も聞かずに一蹴するのに、その瞳に興味を覚え、つい尋ねてしまった。
「頼みごととは?」
「二十日前、僕の屋敷が突然襲撃されて、両親と双子の兄が惨殺された」
 少年は絞り出すように言った。
「襲撃……?」
 最近、似たような話を聞いたことがあった。確かあれは六条の……
「もしや貴方は幽鬼家のご子息ですか?」
「ああ、そうだ」
 幽鬼家といえば、群れなす貴族の中でも上位の家。しかもただの貴族ではない。裏の社会の人間なら誰でも恐るる悪の貴族──帝の命に従って表の力が及ばない悪の輩を絶対的に噛み殺す帝の番犬だ。奥方は遠く遥か西の国より嫁いだ異国の者。その女と大和の国の男の息子であれば、この珍しい瞳もうなずける。
 その一族郎党が火をかけられて惨殺されたという噂は、陰陽師の耳にも届いていた。
「……全員が亡くなられたわけではなかったのですね」
「そうだ。僕ひとりだけ生き残ってしまった……」
 絞り出すように呟く彼の瞳がうっすらと潤んでいる。しかし気丈にも落涙することなく、歯を食いしばって耐えていた。まだ幼い彼が肉親を失ってどれほどの悲しみに襲われたことか。どれほど悔しかったことか。それなのに亡くなってからたった二十日間で立ち上がり、ここまでやってくるとは。やはり尋常の子どもではない。 
 陰陽師は感嘆し、その氷のような心を僅かに動かされた。
「して、依頼の内容は」
「僕が望むのは、家族を……父や母や兄を生き返らせることだ」
「なるほど……」
「一刻も早く家族をあの世から呼び戻したい」
「わかりました」
「やってくれるのか」
「いえ、お断りいたします」
「えっ」
「死者を蘇らせるなど、私の領分ではございません」
「だけど、お前はこの都で一番の陰陽師だと聞いた。できないことはないんだろう?」
 必死で問う少年に陰陽師は冷ややかに応える。
「ええ、できないことはありません。ですが、ご家族の遺体はすべて灰になってしまったのでしょう?」
「……ああ」
「その状態ではたとえ魂を喚ぶことができても、蘇らせることはできません。死者をヒトとして顕現させためには肉の器が必要なのです。それに、願いをかなえるには、それ相応の対価を払わねば。貴方にそれができるとは思えません」
 陰陽師が言い放つと、少年は突き刺すような視線を投げた。
「対価なんかいくらでも払ってやる。父と母と兄が戻ってくるならば」
「お断りいたします」
 少年が何度頼んでも、陰陽師は首を縦に振らなかった……。

 とぼとぼと肩を落として少年が屋敷の門をくぐっていく。その小さな背中を見送って、陰陽師は小さくため息をついた。
「いくら私でも、屍人を蘇らせるなぞ、おぞましいことは御免被りたい」
 そばに侍るふたりの女童に語りかけた。
 彼女らは話しかけられても眉一つ動かさない。そう、彼らは人間ではない。
 陰陽師が庭の天竺薔薇の花びらから作り出した式神なのである。
「さて、少々興を削がれてしまいましたね。紅薔薇、白薔薇、酒を」
 式神たちはうなずいて、酒の支度をするのだった。

***
 それから数日後──。
「ひぃいい、鬼だ、鬼が出た!」
 甲高い悲鳴が辻のそこかしこに上がる。
 白昼のことである。
 夜陰に紛れて現れるはずの鬼が、白昼堂々と現れるのは異常だ。
 都の陰陽師たちは鬼祓いの儀のために集められた──あの異端の陰陽師をのぞいて。
 内裏の中央に祭壇を設け、祓いの儀が始まったが、鬼の勢いはやまず、陰陽師たちを嘲笑うかのようにひとを襲い、喰い散らかしてはその死体を市中にばらまいていた。
 鬼祓いに失敗した貴族たちは唯一の頼みである、異端の陰陽師に救いを求め、彼を宮中に呼びつけた。
「帝の命である。鬼を退治せよ」
「お断りいたします」
 秒で返ってきた返事に貴族たちはのけぞった。
「な、なにを申す。帝の命であらせられるぞ」
「鬼退治などしとうはありません。私は忙しいのです。では、失礼いたします」
 と腰をあげる。
 そこへ。
「待て」
 最奥の御簾がかすかに揺れた。
「朕からも頼む。これ以上民を不安がらせたくはない」
 貴族の間にさざ波のように動揺が広がる。
「み、帝が御自らお言葉を……!」
「これ、言うことをきかぬか。さっさと鬼を払いに行け!」
 帝自らから命じられれば、是とうなずくほかはない。
「かしこまりました」
 不承不承、異端の陰陽師は席を立つ。
──嗚呼、鬼退治なぞ面倒このうえない。
 屋敷に戻って、届いたばかりの天竺の書物に没頭したいのにと、口の中で呟いた。

 市中に出れば、人々はざわめき、いつ鬼が出るかと怯えている。
 それに乗じて盗みをする者、乱暴狼藉をする者もいて、確かにこれでは帝が心配するのも当然だと陰陽師は眉をひそめる。
 七条の辻に来たとき、頭上に大きな影が差し、空が暗くなった。
「っ」
 宙に立っているのは、長い白髪をなびかせて黒の装束をまとい、巨大な鋼の鎌を手にしている男だ。
「お前は……!」
 それは一見鬼のようではなかった。
 額に鬼の角はなく、口に牙もない。
 まるでひとのような姿をしているが、鬼だ。しかも屍人を操る死の鬼。
「おや、君は」
 死の鬼が異端の陰陽師に気づいた。
「ひさしぶりだねえ。いつ以来だろう」
「貴方には二度とお会いしたくなかったのですが」
 かつてこの男に何度煮え湯を飲まされたことか。異端の陰陽師はぐっと腹に力を入れた。
 死の鬼は愉快そうに陰陽師を見遣り、
「君が来たんなら、そろそろ始めようかねえ」
 ぱちりと指を鳴らす。
 途端。
 鬼が市中にばらまいた死体がもぞもぞと動き始めた。バラバラになった腕が胴につき、足がつき、一体、二体と起き出して、ふらふらと歩き出す。
「ぎゃぁああ」
「やめろぉお」
 屍人たちは人々に襲いかかり、その首をかじり、生き血をすする。町は阿鼻叫喚の様相を呈してきた。
「っ、今すぐ、屍人を操るのをやめなさい。でないと調伏いたしますよ」
「言われてやめる小生ではないよ。ほら見てごらんよ。おもしろいだろう? 死してなお生への欲望に駆られて生者を喰らう。人間の煩悩には果てがないねえ。ひっひっ」
 異端の陰陽師は呪を唱え、一体一体調伏していく。だが屍人の群れは増え続ける一方だ。
「これではらちがあきません」
 呪符もすべて使い切ってしまい、もはや打つ手がない。
 そのとき。
「お前は死者を蘇らせられるのか!?」
 涼やかな少年の声が辻に響きわたった。
 振り返ると、あの少年が──美しい蒼い瞳を持った少年が死の鬼に向かって叫んでいる。
「ひっひっ、随分と可愛い子だねえ。そのとおり、小生は死者を生き返らせることができるよ。こんな風にね」
 とふらふらと歩く屍人たちを指差す。
「なら、お前に頼みたいことがある!」
 異端の陰陽師は、少年の意図を悟った。
──彼は死の鬼に家族を生き返らせようとしている。
「いけません。そんなことをしたら……!」
 少年は異端の陰陽師を鋭く見た。
「お前は僕の依頼を断った。もう関係ないだろう」
 憎々しげに言うと、死の鬼に向き直る。
「頼む。僕の家族を蘇らせてくれ!」
「さて、どうしようかねぇ」
「頼む! この通りだ」
 少年の必死の形相を見て、死の鬼はひっひっと嗤った。
「その願い、きいてあげてもいいけれど、対価がいるよ?」
「構わない。どんな代償でも払う」
「ひっひっ、ならおいで。叶えてあげよう」
 死の鬼はさっと少年をすくい上げた。
「っ、その子を返しなさい!」
「おやおや、君がそこまで執着するのは珍しいねえ。陰陽師くん、欲しいなら取りに来てごらんよ」
 ひっひっと不気味に笑う声を残して、死の鬼は消えていった。




 異端の陰陽師までも鬼祓いに失敗したとあって、さすがに公達や貴族たちも浮き足立っていた。中には遷都を口にする輩もいて、宮中はあれこれざわめいて落ち着かない。
「やはり狐の子なんぞに鬼祓いはできぬ」
「そうそう、狐の子はただの狐に過ぎぬ。都一の陰陽師などあなおかしや」
 日頃、優れた異端の陰陽師に負かされてばかりの陰陽師たちは、ここぞとばかり彼を批判した。
──狐の子。
 異端の陰陽師の母は狐。狐と人間の間に生まれた合いの子だ。だからあんなに強い力があるのだと彼は幼い頃から噂されていた。それが真実かどうか、直接彼に聞いた者はいない。しかし、人並みはずれた能力を持つ者を羨み、嫉み、それがやがて憎しみに育っていくのは想像に難くない。宮中は今、彼に対する悪口や怨嗟の言葉で満ち溢れ、帝もなすすべがなかった。
 けれど当の本人はそれらの声にまったく耳を貸さなかった。そんな余裕はないのである。
 陰陽寮の片隅で式神をつくり、術を書き、少年を死の鬼から救い出すための準備に没頭していた。
「面倒な……」
 そう言いつつも、こんなことをするのは自分があの少年に惹かれているからだろう。なぜ、惹かれているのかと胸に問うても、その理由はわからない。それはあの磁力の強い瞳のせいかもしれないし、別の理由かもしれない。わかっているのは、救い出さねばという、激しい思いがからだの奥底から湧き上がってくることだけだ。
 ひととおり、準備を整えると、薄紙を文机の上に置き、二本の指を唇に添えて、呪を唱えた。
「死の鬼の住処に案内せよ。急急如律令!」
 すっと薄紙が鳥の形になり、宙に浮かぶと異端の陰陽師に道を指し示す。
 その案内に従って、内裏を出た。

 びゅうびゅうと冷たい風が吹きすさぶ険しい山道の先、崖の突端すれすれにみすぼらしい家があった。
 その前にこぶりの陣が敷かれている。
 陣の奥には、ひとひとり横になれる棺のようなものが置かれていた。
「いいかい、この中に入るんだよ。小生が呪を唱えたら、すぐに君の家族が戻ってくる。君の願いが叶うんだよ、ひっひっ」
「やってくれ」
 少年は覚悟を決めたように、棺の中に横たわり、目をつむる。
 やがて死の鬼がぶつぶつと呪を唱え始めた。
 と、そこへ。
「止めよ!」
 ようやく死の鬼の住処にたどり着いた異端の陰陽師が、ふたりの間に飛び込んで、呪をさえぎる。
 死の鬼はふうと大きくため息をついた。
「やれやれ。ここまで追いかけてくるとは、君も随分ご執心だね」
「いますぐ、祭儀をとりやめてもらいましょうか」
「そうはいかないよ。なにしろこの子自身が望んだことなんだから。ねえ、君」
 目を丸くして、突如現れた陰陽師を見つめていた少年は、はっとしてうなずいた。
「そうだ! この鬼は家族を蘇らせてくれると約束したんだ! 邪魔するな」
「その代償がわかっているのですか?」
 異端の陰陽師は叫んだ。
「う……それは……ただここに横たわっているだけでいいって」
「なにを寝ぼけたことを言っているのです。この鬼は貴方の……」
「おっと、そこまでだよ、陰陽師くん。そこから先は小生の秘密だ」
 死の鬼は大きな鎌をどこからともなく取り出すと、異端の陰陽師に襲いかかった。
「っ!」
 巨大な鎌を自在に操り、陰陽師の命を狩ろうとする。右に左によけなから、異端の陰陽師は呪を唱えた。
「臨兵闘者皆陣烈前行、鬼魅は降伏すべし。急急如律令!」
 力強い呪が空間を切り裂く。
 が──。
「ひっひっ、そんな呪では小生を縛れないよ。さて、続きをしようかね」
 笑いながら、死の鬼は祭壇に向き直り、祭儀の続きにとりかかる。
「っ!」
 異端の陰陽師が後ろから飛びかかった。死の鬼はそれをすいと避け、振り返りざまに鋼の鎌で陰陽師の胸を突き刺す。
「がは……っ」
 陰陽師は口から血を吹き出しながら、崩れ落ちる。
「いやはや、なんでそこまでするのかねえ。そんなにもこの子が大事かい」
 陰陽師は死の鬼の言葉に応えず、棺の中の少年に向かい、
「この鬼の術は、貴方の肉体をもって家族を蘇らせるものです。つまり、貴方自身は彼らの肉となり、この世から消えてしまうのですよ」
「え……っ?」
「ご家族がこの世に戻ってきたときには、貴方は肉を失い、魂ごと消滅するのです。それでよいのですか? ご家族と会うことはできないのですよ!」
「……それが代償?」
「ええ、そうです」
 重傷を負いながらも、異端の陰陽師は少年に説き聞かせる。
「おい、死の鬼。こいつの言っていることは本当なのか」
「ひっひっ、本当だよ。彼は嘘をつかないからねえ」
「両親や兄に会えないんじゃ意味がない!」
「おやおや、君の願いは『家族を蘇らせる』ことなんだろう? そのためにはどんな代償だって払うんだろう? だから小生は君の肉体を使って、家族みんなをこの世に蘇らせようとしたのさ。それのどこが悪いのかい? 家族と会いたい、なんて望みは小生は聞いてないよ」
「っ、でも」
「今更嫌だといってもやめないよ。小生はこの実験に大層興味があるんだ。生者の肉体を使って、骨も肉も失った死者を顕現させることができるのかってね。ここでやめたらおもしろくないじゃないか」
「させません!」
 異端の陰陽師は立ち上がり、血を流しながら、よろよろと死の鬼に立ち向かっていく。
「おやおや、そのからだでまだ戦うのかい?」
「もしも貴方が祭儀をやめれば、その対価に──」
「対価に?」
「──私の真名を」
「陰陽師くん、君の真名を小生なんぞに教えてもいいのかい? それがどういうことなのか、わかっているよねぇ」
「ええ、もちろん」
「名を教えれば、小生は君を自在に操れるようになるんだよ? それほど、この子が大切なのかい?」
「……わかりません。ですが、対価としては十分でしょう?」
「おつりがでるぐらいだよ。では、陰陽師くん」
 死の鬼が耳を寄せると、陰陽師はその名をささやいた。
「確かに受け取った。ひっひっ、これで君は小生のものだねえ」
「果たしてそうでしょうか? そう簡単には行きませんよ」
「いまさら、強がったって遅いよ。じゃあ、小生はもう行くよ。ああ、残念だったねえ。結果を見たかったよ」
 大鎌を背負い、死の鬼は崖からひょいと飛び降りて、その姿を消した。

「おい、大丈夫か!?」
「ふん、大丈夫に決まっているでしょう」
「死にかかっているのに、よく言えるな」
「このままじっとしていれば自然と治ります。放っておいてください」
「でも……」
 陰陽師は真っ青な顔をして息を荒げている。
 胸からどくどくと血が溢れ続けている。
 このままでは本当に死んでしまいそうだ。
 少年は気づかぬうちに動いていた。

 突然、少年の顔が目の前に来て、陰陽師は思わずからだをひこうとした。
「なにを……?」
 呟いた途端、唇を塞がれる。
「つっ!?」
 くちづけられて、陰陽師は驚愕した。肩を押し、からだをのけようとしても、傷ついた身では力が入らない。少年はぎゅっと目を瞑り、唇を押し当ててくる。
 次第に甘く爽やかな『気』がからだの中に入り込んできた。その『気』はゆるやかに全身に巡り、同時に切り裂かれた痛みが遠のいていく。
──これはなんだ。
 狐の子と畏怖される自分のからだに、『気』を通せる人間などいないはず。なのに。
 少年の『気』は優しく、陰陽師のからだ全体を温めていく。
 陰陽師はいつのまにか、少年の唇を割り、舌を挿れていた。
 小さな舌を、軽く吸う。
「んん!」
 抗う少年の頭を押さえ、さらに唇を犯していく。歯列を愛撫し、舌を絡ませ、吸い、甘く噛み……。
「……ん」
 少年の鼻腔から甘い吐息が漏れた。
 銀の髪を撫で、背骨に沿って指を辿らせていく。
 そうやって触れれば触れるほど、傷は癒え、みるみるうちに力が漲っていく。
──まだ幼い子どもだというのに……。この力は一体なんなのだ。
 思考に集中して、気づかぬうちに腕の力を弱めてしまったらしい。その隙に少年はパッとからだを起こし、
「なにをするっ!」
 と真っ赤になって怒った。
「それは私の台詞です。いきなりくちづけるとはなんとはしたない」
「はしたないのはお前のほうだ。し、し、舌なぞ挿れやがって!」
「気持ちよかったのでしょう?」
 くすくすと笑えば、少年は地団駄を踏んで悔しがる。
「くそ、僕はなんであんなことっ」
「ええ、なぜいきなり、くちづけなどしたのです?」
 陰陽師は真顔になって訊いた。
「貴方は……一体何者なのです? なぜその『気』が私の中に入れるのです?」
「え……?」
 少年には陰陽師がなにを言っているのか、まったくわからなかった。
「なぜって……わからない。ただ、勝手にからだが動いて」
「勝手に?」
「そうだ。なんとなくそうすべきだと感じて……そうしたらお前にあんなことを……」
 陰陽師は瞠目した。
 『勝手に』『なんとなく』『そうすべきだ』……。
 一見、不確かで頼りなく思える感覚が、実は最も真理に近いのだということを、陰陽師は知っていた。

──私と彼の縁は繋がっている。

 直感がそうささやいた。
「そう、ですか」
 呟いた言葉に、
「え?」
 と少年が聞き返すも、陰陽師は黙って首を横に振り、
「さあ、ぐずぐずしていないで行きましょう。貴方の願いを叶えなくては」
「えっ」
「私を助けてくれた恩返しです。借りを作るのは性に合いませんので」
 陰陽師は少年を横抱きに抱えると、人とは思えぬ速さで山をくだった。

***
「家族と……会えるのか?」
 陰陽師の屋敷である。座敷の中央にふたり向き合って座っていた。
「ええ、反魂の術といって、魂だけならば、召喚することができます。──ただし、この方法も代償が伴いますが」
「また代償か」
 少年は眉を寄せた。
「願いを叶えるには、それにふさわしい対価が必要なのです」
「──どんな対価を払えばいい」
 少年はごくりと唾を飲み込んだ。
「貴方のからだの一部を捧げることです。どうしますか?」
「……やる」
「差し出すものは? 貴方だけが持っている、大切なものでなくてはなりません」
「この瞳を」
 少年は一切の躊躇を見せず、右目を指差した。蒼く透明な湖のような美しい瞳。
「母上が愛してくれたこの瞳だ。この色はお前だけの色よといつも言ってくれた」
「その目は、視力を失うのですよ」
「構わない。片目が残るなら十分だ」
 強い意志の宿る瞳を陰陽師に向けた。
「──わかりました。では」
 陰陽師は呪を唱え始める。
「っぅ!」
 少年が片目を覆った。じりじりと身を焼くような痛みにもがき苦しんでいる。
 陰陽師はそれを見ながら、冷徹に呪を紡いでいく。
「うわあああ!」
 悲鳴とともに少年の片目から五芒の光が発し、同時に御簾の向こうに黒い煙が立った。三つの人影がうっすらと見える。
「とうさま! かあさま! にいさま!」
 少年は駆け寄ろうとした。
 陰陽師はすばやくその背中に声をかける。
「いいですか。彼らがこの世にとどまれるのは、ほんの数分です。話したいことがあれば、急いでください」
 少年はうなずき、家族のもとへ行く。ぼそぼそと何かしゃべっている気配はするが、その様子は御簾に隠れて、陰陽師にはよく見えない。
 やがて霧が晴れるとともに、少年の家族も儚く消えていく。
 少年は薄れていく家族の姿を蕭然と見送っていた……。

「ご家族とお話はできたのですか」
 御簾の後ろから戻ってきた少年に問うと、うん、と彼は小さくうなずいた。
 おそらく家族との最後の別れを惜しんだのだろう。胸が痛んだ。
「犯人の手がかりをつかんだ」
「え……?」
「兄が後ろ姿を目撃したんだ。だから」
 と少年は言葉を続けた。
「だから、次は奴らを探し出して、家族の仇を討つ。また働いてくれるか。僕の──陰陽師」
「は? なぜ私が貴方の陰陽師なのです? もう貴方に借りはありませんよ」
「僕が、そう決めたからだ。まかせたぞ!」
 不思議なことに命じられても怒りは湧かなかった。どころかこの少年の役に立ちたいとさえ思う。
──わからないことばかりだ。
 陰陽師は答えを求めるように、少年の瞳を見た。
 そこにあったのは、蒼と紫の二色の瞳。
 視力を失い、紫色に変じた瞳に、五芒星が宿っていた。

                        
  
 終