現パロ。珍しくバルド登場です。ツイッターで絵師さまのお描きになったパイロットセバスのイラストがとてもかっこよく、触発されて書いたパイロットSSでしたw
2022.4
「今日の空は最高だな、なぁキャプテン」
隣の男の機嫌が妙にいい。
こういうときにはたいていよくないことが起こると、セバスチャンは眉をひそめた。
だいたい、この男と自分は相性がよくないのだ。
テキサス航空から英国ファントム航空に移ってきた操縦士、バルドロイ。
半月前に同乗したときには、雲ひとつない晴天に突然積乱雲がわき、稲光がバチバチとむやみやたらと光る中をジャンボ機でつっきらなければならなかったし、一週間前に一緒に乗ったときは、エンジンに鳥が突っ込んで緊急着陸を余儀なくされた。
だから。
今日のフライトは用心しなければならない。
操縦桿を握る手に知らず知らず力がこもった。
「おいおい、そんなに緊張しなくたって、大丈夫だ。この俺がいるんだからな」
貴方がいるから逆に不安なんですよ、とセバスチャンは言い返したいが、下手に刺激するとあとが面倒だ。
だが──いくらなんでもこの匂いはひどすぎる。
離陸したときにはまだよかったが、だんだんと強くなる匂いにセバスチャンは閉口した。
「バルド、ゆうべはどこへ行ったんですか?」
「はぁあ?」
間の抜けた返事に苛立ち、横目で見れば、バルドは制帽を斜にかぶり、両手を頭の後ろで組んでいる。狭いコックピットで、自由にくつろいでいる姿に無性に腹が立った。
「隠したって無駄ですよ。アルコールの匂いがぷんぷんします」
「おいおい、セバスチャン。お前は俺の女房てか? 宵の口にバーでほんのちょっぴり飲んだだけさ。もう酒なんぞ残っちゃいねえ」
確かに、少しでもアルコールが残留していたら、搭乗前の呼気検査にひっかかるはずだ。体内には残ってないのだろうが……。
セバスチャンはハッとした。
「バルド。歯は磨きましたか?」
「は?」
「歯」
セバスチャンの声が一段と低くなったことに、バルドはてんで気づかない。
「うんにゃ、今朝はギリギリに起きちまったから、歯なんて磨く暇なかったぞ」
「ということは……」
「もちろん、磨いてないに決まってるだろ!!」
どうして、そこで堂々と胸を張るのだ!
なぜ、歯を磨かない!
畳一畳もない、狭苦しいコックピットに、無駄にでかい図体の男がふたり、ぎゅうぎゅうに詰めこまれることがわかっているのに!
聞いてしまったからか、アルコールに加えて口臭のような不気味な甘い匂いが漂ってきた気がする。
嗚呼。
こいつには気遣いというものはないのか。
思いやりとか優しさとかそういうものを持っていないのか!
セバスチャンはいますぐこの男を殴りたくなった。もう操縦なんてどうでもいい。後ろの乗客のことも一瞬──ほんの一瞬だけ忘れた。
セバスチャンが怒り悶えているのもつゆ知らず、バルドはアフゥ…と大きなあくびをした。
「なあ、セバスチャン」
「なんですっ」
「タバコ、吸いてえ」
「はあ?」
「はあ? じゃなくてさ、タバコ吸いてえんだ」
と、もぞもぞと制服の胸ポケットを触る気配がする。
「ちょ、ちょっと待ってください。コックピット内は禁煙です……というかタバコをここに持ち込むこと自体、社則違反です!」
「んなこたあ、わかってるぜ」
「ならどうしてそん……ッッ?!」
怒鳴りつけようと顔を向けた途端、唇の端にタバコをくわえた副操縦士が目に入った。
「バルド!?」
「ん? なんだ?」
セバスチャンはぱくぱくと口を開け閉めしながら、まばらなひげに囲まれたバルドの唇を見つめた。
「タ、バコ…………」
頭が真っ白になった。奪い取ろうにも操縦桿から手は離せない。
──信じられない。
ばくばくと心臓が音を立てて激しく打っている。
これが乗客ならすぐさまタバコを取り上げて、着陸までそいつをトイレに閉じ込めるだろう。
だが。
まさか副操縦士をトイレに押し込むわけにはいかない。
タバコから立ち上る灰色の煙がコックピットのガラスを覆い、視界が消えていくさまがありありと目に浮かんだ。
つぅうと脇の下から冷たい汗が流れ落ちる。
「おい、セバスチャン?」
固まったまま、セバスチャンは微動だにしない。
「おいったら」
バルドは腕を伸ばして、軽くセバスチャンの肩をゆする。
「なに固まってるんだ? あ、これか。タバコのことか」
気づいたバルドは、あははと笑ってさっきまでくわえていたタバコをセバスチャンに突き出す。
「ほら、よく見ろよ。ほら」
促されて視線を落とし、指先を見る。
「………………え?」
一瞬で呪いが解けた。
「これは……」
「そう、タバコじゃねえよ」
***
「シナモン、ですか?」
「おうよ、シナモンスティックていうのか? バーで頼んだカクテルについてきてさ。なんか洒落てるなって思って、持ち帰ったんだよ。ほれ、おサレだろ? シナモンくわえているパイロット、なんてさ?」
悦に入った顔をして、狭い椅子にからだをもたせかけている。
セバスチャンは天を仰いだ。
もういやだ。
人を散々脅かして、得意げな顔をするやつなんて大嫌いだ。
「……ええ、とってもクールですよ」
いやみたっぷりに返すと、
「やっぱそうだろ? お前も今度やってみろよ。シナモンスティックくわえてさ。きっと女にモテるぜ」
セバスチャンは絶句した。
もう言い返す気力さえない。
肩を落とし、ふと前を見れば、雲ひとつなかった空に、いつのまにか巨大な積乱雲がむくむくと湧き上がっている。黒雲の中に青白い稲光がいくつも光っている。
雲の脇から鳥の大群がこちらにやってくる。
さらにその上から──銀色の謎の飛行物体が何機も飛んでくる。
「そんな……!」
これは悪夢か幻か。
「バルド……どうしましょう」
呼びかけても返事がない。
「バルド?」
返事の代わりにすうすうと規則正しい寝息が聞こえる。
セバスチャンはギリギリと奥歯を噛んだ。
嗚呼。
どうしたらいいのだ。
積乱雲、稲光、鳥の大群、UFOがいっぺんに襲いかかってくる。
一体、どうしたら、この危機を乗り越えられるのだ。
わかったことはただひとつ。
この男とは絶対に一緒に飛んではならない。
絶対に──!
*読んでくださってありがとうございます*