「さあ、終わりにしろ」
「まさか、坊ちゃん。こんなところで貴方を頂くわけにはまいりません」
セバスチャンは薄く笑みを浮かべて、あたりを見回した。
瓦礫の中に広がる血だまり。
積み重なる死体。
敵も味方も折り重なって、幾つもの山を作っている。
かつて婚約者と呼ばれた少女も、焦げた料理しか作れなかったシェフも、人並みはずれた射撃の腕をもつ家女中も……皆ただの骸となってころがっている。
「はっ、悪魔にとって、これこそが『美しい』風景だろう? なにを遠慮することがある。ここで僕を喰らえばいい!」
叫ぶように言い放つ少年のからだもまた泥と血と涙にまみれている。綺麗な顔には無数の傷が走り、血が滲んでいる。
「嗚呼、坊ちゃん。貴方は本当に私をわかっていない……」
悪魔は少し寂しげに呟いた。
それから小さな主人を抱き上げると、ゆっくりと歩き始めた。
いつのまにか霧が濃く立ち込めている。
少年も悪魔を口をつぐんでいた。
さくりさくりと地面を踏む足音だけが響いている。
やがて視界が開けると、そこは深い森の奥だった。中央にひときわ大きな樹が静かに佇んでいる。そこだけ薄く光が差しているように、ほのかに明るかった。
「……ここがお前のお気に入りの場所か」
「まあ、そういうことにしておきましょう」
悪魔は少年を樹の根元に座らせると、ひざまずき、顔を寄せた。
「坊ちゃん。最期に、言い残すことはありませんか?」
「誰に? 何に対して? くだらないことを聞くな。僕にはもう、思い残すことなどない」
「私に対しても?」
少年は目をあげた。
この期に及んでこいつは何を言いたいのだろう。
そう言いたげな顔で悪魔をじっと見つめている。
少年はそのまましばらく考えていたが、やがてフッと笑った。
「坊ちゃん?」
「……お前に対して? お前に、なにを言うというんだ。礼を言えとでも?」
「いえ。ただ、私は……」
「ただ?」
「貴方が、此の世に何かを残したいのでは、と。そう思えて……」
「おい悪魔。ヒトらしくしろとは命じたが、そこまでらしくしなくてもいい。さっさと喰らえよ」
乱暴な物言いとは裏腹に、少年はやさしく悪魔の頰に手を添えた。
悪魔はその手に自分の手を重ねる。
「坊ちゃん……」
悪魔の胸に様々な思いが去来した。
高慢で哀れなクソガキとの出会い。
嫌味なやりとり。それでいて楽しかった日々。
共に立ち向かい、闘って……
それらの記憶が一気に押し寄せ、胸が詰まった。
「セバスチャン、そんな顔をするな。これは褒美なんだ。僕がお前にやれる、唯一の褒美なんだぞ。受け取れ」
少年は小さな声で促した。
「さあ」
動かない悪魔に焦れたのか、少年は悪魔のからだに腕を回して抱きしめた。
「ッ!」
「さあ、喰らえよ」
その声がわずかに震えていたように思えた。だが意外なほど強い力に抱きしめられて、逆らうことができず、悪魔は少年の唇におずおずと自分の唇を重ねた。柔らかい唇を開き、小さな舌にそっと舌を絡ませる。
「ん……」
少年のからだから次第に力が抜けていく。
光を失いつつある蒼い瞳をじっと見つめながら、魂の最後のしずくを舐めとったとき、少年の唇が何かを紡ぐように動き、かすかに微笑んだ気がした。
fin