現パロです。芸能界セバシエを考えていたらこんな話が浮かびました。
ふたりともいつまでも幸せでありますように 2023.7.15
「カーーット!」
監督の声がかかり、キャストもスタッフもほっと息を吐いた。
「よかったよ、ミカエリスくん! 君のおかげで最高のシーンが撮れたよ! ここだけの話、今度の映画はカンヌに出すつもりなんだ。もしも、もしも受賞したら一緒に行ってくれるかい?」
「ええ、もちろんですと、も、痛いっ!」
ミカエリスと呼ばれた男は、突然足を踏まれて小さく叫んだ。
「勝手に決めるな。僕を通せ」
「はい……」
セバスチャンよりも三十センチほど小さい──小さいなどというと彼はすぐさま怒り出すが──マネージャー、シエル・ファントムハイヴは、ぐいっと一歩前に出て、
「ええ、ぜひともお願いいたします。こいつはフランス語も堪能ですから、ご遠慮なく通訳代わりに使ってやってください」
嗚呼、余計なことをとセバスチャンが額を押さえるも、シエルマネージャーの勢いは止まらない。
「それに料理もシェフ並みに上手いんですよ。どうです? カンヌ滞在の間、外食ばかりでは飽きてしまうでしょう? セバスチャンの手料理で……」
「いや、それは遠慮しますよ。向うのレストランの味も後学のために知っておきたいですし…それにまだ行けると決まったわけではないので……あの、その、なあ、ミカエリスくん」
シエルの勢いに若干引き気味の監督が答えると、
「ええ、ええ、そうですとも」
と応じるセバスチャンの脛をゴンとシエルは蹴り、「イッテ!」と叫ぶ彼を尻目に、
「それもそうですね。僕としたことが先走り過ぎました。では、カンヌ行きが決まったら、またいろいろと相談させてください」
と笑顔を見せ、
「ほら、行くぞ」
「犬じゃないんですから、袖をひっぱらないでください」
ふたりは撮影所の入り口で待っていたリムジンタクシーに乗り込んだ。
セバスチャン・ミカエリスは当代きっての人気俳優である。彼が学生の頃、その美貌と人誑しの性格に目をつけた、先代のファントムハイヴ──ヴィンセント・ファントムハイヴ──にスカウトされ、最高の演技トレーナー、最高の振付師のレッスンを受けて、芸能界デビューしたのである。
もともとイケメンな上に愛想のいいセバスチャンである。
人の心の機微を察知し、さりげなく相手を喜ばせる。まさに芸能界にぴったりの人材を発掘し、ヴィンセントは大喜びであった。が、しかし、セバスチャンがデビューしてまもなく、ヴィンセントはロケ地に向かう途中、事故に巻き込まれて命を落とし、その跡をたった十三歳の息子、シエル・ファントムハイヴが継いだのであった。
「今回の撮影は意外と大変だっただろう。よくやった」
「おやめください。貴方がそんなことを言うなんて。嵐がきたらどうするのです」
天気待ちで、もう何度もドラマ撮影が延期になっているのだ。この上さらに延びれば、他のスケジュールに影響が出てしまう。
「ロケなんぞ中止になればいい。たまにはお前も休んだ方がいい」
「おや、敏腕マネージャー兼社長がそんなことをおっしゃってもいいんですか?」
「ふん」
と、シエルはリムジンタクシーのソファにからだをもたせかける。
が、すぐにバッと起き直って、くんくんと鼻を動かし、
「お前、香水のいやらしい匂いがする」
「しかたないでしょう。麗しの女優さまとラブシーンを演じなければならなかったのですから」
「ちっ。あの女、香水のつけすぎじゃないか。まるでお前にマーキングしたかったみたいだ」
「そんな意味合いもあったのかもしれませんが……。そんなにお嫌いなら、『貴方の香りで私を染めてください』」
「よせ。気持ちの悪い。ドラマの決め台詞を日常で使うな。バカ犬」
「はぁあ……坊ちゃんは全然わかっていませんねえ」
セバスチャンがおおげさに嘆くも当のシエルは全然聞いてはいない。
「私は、本気なのですよ」
「信じられるものか」
こうしてセバスチャンがどんなに愛を謳っても、シエルは信じない。
それもそのはず、共演した女優は決まって、セバスチャンに恋に落ち、誘われれば断れないセバスチャンは共にホテルに行くこと数知れず。そんな軽い男に愛を打ち明けられても信じられるかとシエルは思うのだ。
撮影後、ホテルに引きずられていくのを何度止めたことか。断る口実にゲイだといえば、今度はムチムチの男が寄ってくる。ついでに猫にも好かれ、至るところでもふもふの猫に寄られて、何度シエルの猫の毛アレルギーが発症したことか。まったく、モテすぎるタレントを持つ事務所社長も楽じゃない。
「坊ちゃんの事務所には私しか所属していないのですから、もっと大事にしてもよいのでは?」
「はっ、いまでも十分大事にしてるだろ。ギャラはきっちり五分五分だし、これ以上なにが不満だ」
「お金だけではなくて……」
「うん?」
「私は『貴方の愛が欲しいのです』」
「やめろ、そのセリフ。映画『愛に飢えて』の決め台詞だろ。歯が浮く」
「バレましたか」
このセバスチャン。魅惑的なセリフを恥ずかしげもなく言うのは得意だが、自分の言葉で愛をささやくのは、恥ずかしくてできないのである。
「まあいい。明日は朝イチでミュージカルの記者会見だからな。喉の調子を整えておけよ」
「やれやれ。映画の仕事が終われば、インペリアルシアターで三ヶ月も舞台ですか」
「お前ならやれるだろう? 歌はばっちりだろうな。くれぐれもオペラ風に歌うなよ。ポップスでいけ、ポップスで。そのほうがお前の柄にあう」
「オペラのほうが得意なんですけれどね」
器用なことに、楽譜を見れば即座にプロのオペラ歌手並に歌えるセバスチャンだが、昨今のミュージカルにオペラはいささか古すぎる。
「十九世紀にはアイリーン嬢というすばらしいオペラ歌手がいて、私は彼女と親しくさせていただいて……」
「はいはい、妄想の話はいい。くれぐれも僕の言うとおりにしろよ」
「──……承知しました」
十九世紀の話を妄想と一蹴されて、セバスチャンはシエルに気取られないようにそっとため息をついた。
「ため息をつくな」
「おや、気がつきましたか」
「当たり前だ。長いつきあいなんだからな」
──ええ、本当に。二百年前からのつきあいだと言ったら、どんなに驚くことか。いえ、その前に寝言は寝てから言え! と殴られそうですがね。
この少年シエル・ファントムハイヴとは、三年前に初めて出会ったのではない。
今からおよそ二百年前に一度邂逅しているのだ。当時はこんなマネージャーと俳優ではなく、悪魔と少年貴族であったが、そのことをいまのシエルは覚えていない。こうして再び巡り会い、ともにいられることがどんなに僥倖なのか彼はわかっていないけれど、セバスチャンは知っている。
──こんな奇跡は二度と起きない、と。
だから、彼とともに現生を一生懸命に生き、泣き、喜び、愛し合い……そんな人生を望んでいるのだ。残念ながら、まだ『愛し合う』までに至ってないが、それはゆっくりと進めてもいいだろう。そのプロセスだって愛しいものなのだから。
「まったく。生まれ変わったら、お前みたいな妙なやつと絶対関わりたくない!」
「生まれ変わったから、こうして貴方と一緒にいられるのではないですか」
そのとき、傍らの男の瞳の奥が赤く輝いたことにシエルは気づかなかった。
「はあ? なにを言ってるんだ?」
「ふふ、わからないなら、それでよいですよ。いつか思い出すかもしれないし、思い出さなくても私はいっこうに構いませんので」
「お前の言っていることが全然わからない。さあ、マンションに戻って、風呂に入って、歯を磨いて、パックして、ストレッチして……」
「坊ちゃん、それでは寝る暇がありません」
「ははっ、それもそうだな」
クスクスとシエルは笑い、セバスチャンもつられて笑顔になった。
ああ、人生は楽しい。
このまま、おだやかに愉快に過ごしたい。
愛する人とともに、いつまでも。