エディンバラに吹く風は[6]

シリーズ目次

  

「──ねえ」
 暗闇の中から声が聴こえる。
「ねえ、だいじょうぶ?」
 次第に意識が浮上して、シエルは薄く目を開けた。ごつごつとした灰黒色の岩がすぐ目に入る。
「……?」
 周囲を見回せば、あたりは薄暗く、岩で囲まれていることしかわからない。
「ここ…なに……?」
 呟いて、からだを起こした。
「っ」
 途端、焼けつくような激しい痛みが全身に走った。一瞬、気が遠くなる。
「痛い? だいじょうぶ」
 どこからか心配そうな声がした。
「……だ、れ……?」
 シエルはのろのろとからだを動かし、かすかに光の見えるほうへにじり寄った。出口のように見えたそこには、歪な鉄の棒が嵌められている。腕を伸ばして探れば、冷たい錠前に触れて、外から鍵をかけられていることを知った。
 まるで檻だ。
 岩で造られた狭い檻の中に閉じ込められている。
「こっちだよ」
 声を頼りに檻の隙間から、顔を突き出した。目だけ動かして、きょろきょろと辺りを見回す。
「こっち、こっち」
 左側だ。左隣の檻から、薄汚れた男の子が顔を一生懸命出して、話しかけている。
「だいじょうぶ? 痛かったでしょう? あいつ酷いことするから……」
 言われて、少しずつ思い出した。
 キラキラ輝いていた夏の日。置いていかれそうになって、慌ててかあさまととうさまの後ろ姿を追いかけてた……。
 でも。
 突然誰かに抱き上げられて、トラックに乗せられて、口にテープを貼られて。声を出そうとしても音にならなくて、助けてって叫べなくて、ダンボールに押し込められて、暴れても箱から全然出られなくて。それで随分経ってから、やっと出してもらえたと思ったら、あんな……ッ、あんな痛いこと……。
 涙がぽろぽろとこぼれる。ずきずきと背中の火傷が痛んでたまらない。
 痛くて、熱い。
 真っ赤に燃えさかる暖炉の火。焼けた鉄。

──さあ、坊や。お前にも獣の印をつけてあげようねえ。

 ここへ来るなり、男につけられた家畜の徴。
 焼印の熱が、いまもまだ残酷にシエルの肌を焼き続けている。
「痛いでしょう?」
「うん……」
「岩に押し付けるといいよ。ひんやりして少し楽になるから」
「うん……」
 教えられて、岩肌に背中をつけると、ほんの少し火傷の痛みがひいた。
「……ここ、どこなの?」
 シエルの問いに、隣の子は困惑したように答えた。
「わかんないんだ。気がついたら、ここに入れられてて……ねえ、君が捕まったとき、何日だった?」
「ええと」
 とシエルは考えた。痛みのせいか、頭がよく働かない。
「確か、七月の……二十八日だと思う」
「なら僕、もうふた月もここにいるんだ…!」
「えっ、ふた月?」
「ママ、きっとものすごく心配してる。早く帰らないと……」
「殺されるんだよっ!」
 向かい側から、誰かが叫んだ。
 目を凝らすと、シエルの檻の一メートルほど先の岩穴にも鉄の格子が嵌っていて、誰かが中にうずくまっている。
「僕たち、みんな、殺されるんだよ! だって、あの子たち死んじゃったもん。あいつが……、あいつがっ!」
「しっ! 大きな声だすなよ! あいつが起きるだろ!」
 誰かが声をころして、鋭く注意する。
 うっうっ……と向かいの子の口から嗚咽が漏れた。
「だって、あいつが酷いことするから……」
 別の檻から、か細い呟きが落ちた。
「あいつに、さからったら……ぜったい、だめだ…」
 絶望に染まった深いため息。
 そこここから聴こえてくる呻き。
 薄闇の中、かすかに響く泣き声。
 幼い声がシエルの耳を打った。
──何人も閉じ込められているんだ。
 よく顔も見えないほど暗いけれど、小さな檻にひとりずつ、うさぎのように閉じ込められている。動物園みたいな匂いがする。臭いし──ひどく蒸し暑い。
「だいじょうぶだよ」
 力強い声が、隣の檻から聞こえた。
「だいじょうぶ。僕たち、絶対に助かるよ。がんばろうよ」
 元気を出そう、とその声はみんなを慰める。

***
 けれどそんな慰めなど、砂のように消えていった。
 数日に一度与えられる得体の知れない食べ物。
 日に何度も檻から引きずり出され、祭壇のような大きなテーブルに押さえつけられて、男の相手をさせられる。
 男は自分のことを「おとうさま」と呼べと、子どもたちに強要していた。子どもたちは声を震わせて『おとうさま』と呼ぶ。そのたびに、男は醜い唇をゆがめて満足そうに笑った。
 「さあ、『おとうさま』が愛してあげるからな」
 にやにやといやらしい笑みを浮かべて、恐怖に震える子どもを抱き上げる。
 新入りのシエルは特に男のお気に入りで、頻繁に檻から出された。
「お前の瞳は本当に綺麗だなぁ。青いのと紫のと…宝石みてぇな瞳だ。さあ、俺の天使ちゃん。『おとうさま』がたっぷり可愛がってやろう」
 男に「天使ちゃん」と呼ばれるたびに、シエルは怖気をふるった。
 間近に迫った男の口元から漂うお酒の匂い。煙のようなくすんだ匂い。
 怖い。
 気持ちが悪い。
 手首を掴む男の太い指。
 のしかかる汗臭いからだ。
 肌を這う、酒臭い大きななめくじのような舌。

 とうさま。
 かあさま。
 助けて。
 僕を助けて。

 神様。
 神様。
 どうか、僕を助けて。
 お願い、だれか……!

 けれどどれほど祈っても、助けは来なかった。
 男の思うままに蹂躙され、終わればボロ布のように檻の中に放り込まれる。からだに直接杭を打ち込まれたような、下半身の痛みは耐えがたく、しばらくは指ひとつ動かせなかった。

 男の気分はころころと猫の目のように変わった。
 酔って子どもたちに難癖をつけ、何時間もいたぶったかと思うと、まるで別人のように優しくなることもあった。
「今日は特別サービスだ。飛び切りうまいジュースだぞ。味わって飲めよ」
 重い大きな木箱を地下室に運び込み、中からオレンジジュースの缶を取り出して、子どもたちに配った。
 子どもたちは我も我もと鉄格子の間から手を伸ばし、大切そうに受け取る。
 缶の周りにびっしりと水滴がついている。
 よく冷えた美味しそうなオレンジジュース。
 力の入らない指で懸命にプルトップを引っ張って、口をつける。ごくごくと一気に飲む子、大切そうに一口ずつ味わう子……。ひさしぶりにまともで美味しいものを口にし、
「おとうさま、ありがとう」
「ありがとうございます!」
 シエルの驚いたことに、子どもたちは、自分がこの男によって監禁されているのにも関わらず、自分たちを飢えさせているのは他ならぬこの男なのに、束の間、男を自分の父親のように感じ、ジュースの缶をしっかり胸に抱いて、感謝するのだ。
 その数時間後には、再び恐怖に泣き叫ぶ時がやってくるのに──。

***
 シエルが囚われてどれぐらい過ぎた頃だろうか。
 日の差さないこの場所では、時間の経過がまるでわからない。
 いまが何日で何時なのか、まったく知ることができないのだ。
 周囲が妙に静かで、シエルはふと目覚めた。鉄格子に近づいて様子をうかがう。
「あいつ、いないよ」
 隣の檻の子が話しかけてきた。
「え?」
「たぶん、仕事。一度出かけると、なかなか帰ってこないんだ」
「だから少し休めるよ!」
「おなかは空いているけどね」
「それを言うなよ…。こっちまで空いちゃうだろ」
 子どもたちは次々とシエルに話しかける。みんなの声が心なしか明るい。
「ねえ、あいつの仕事ってなんだと思う?」
 突然訊かれて、シエルは戸惑った。
「え、仕事って……。わかんないよ」
「僕、運送屋だと思うんだ」
「運送? どうして?」
「ちらっと見ただけだけど、このあいだ荷物の配達員みたいな制服着てた」
「僕も見たよ!」
 向かいの子も話に加わってくる。
「あいつ絶対、配達員だって。だって、僕たちみんな荷物みたいに段ボールに入れられて、運ばれたじゃん。君だってそうだろ?」
 いわれてみれば確かにそうだ。トラック、段ボール、ガムテープ……、すべて配送で使うものだ。
「どこの会社なんだろう……。フェデックスかな、それともエイクル?」
 シエルが聞く。
「うーん、そこまでは見えなかった。あいつ、いつも僕らに見えないところで着替えるから」
「そうなんだよね、会社のマークとかよく見えないんだよ、ちぇっ」
「わかったら、すぐに警察に言いつけてやるのに!」
「…の前に、まずここを出なくちゃね!」
「うん、脱出計画を練ろうよ」
 そうだ、なんとかして逃げ出す方法を考えよう! と、皆で口々にアイデアを出し合う。 
「ちょっと、みんな……」
 少し離れたところから、いまにも消え入りそうなかぼそい声がした。
「りんごの匂いが、するよ」
 途端に地下室がシンと静まり返った。
 誰も喋らない。
 うっ、うっ、とひそやかな嗚咽が、少しずつ地下室に広がっていく。
──りんごの匂い?
 シエルが小さな声で、
「ねぇ……、みんな、どうしたの?」
 隣の子に尋ねると、
「いま、誰かが……」
「え?」
「この中の誰かがいま亡くなったんだよ。たぶん……一番奥の檻の子だと思う。だいぶ弱ってるみたいだったから…。あのね、人が死ぬときにはね、必ずりんごの匂いがするんだよ」
「りんごの……?」
「うん。君にはわからないよね、来たばかりだもの。僕たち、ここにいるうちに、わかるようになったんだよ。……早く、逃げないと。ここから早く逃げないと、このままじゃ、本当に僕たち、みんな……っ」
「ちっくしょうっ!」
 外への蓋の開く大きな音とともに、男の怒鳴り声が響き渡った。
 男が戻ってきたのだ。
 子どもたちは一斉にヒクッと息を呑んで、小さく身をすくめる。
 男は叫びながら、ダンダンと足音荒く、階段を降りてきた。
「けっ、畜生! なんだってんだよっ。俺はちゃんとやってきたんだよ。きっちり、お荷物届けてただろ。それをなんだよ、いきなりクビにするこったないだろうっ! 『前々から君の飲酒のことが問題になっていてね。申し訳ないけれど、雇っておくわけにはいかない』なんて澄ました顔で言いやがって。くそえっらそうに! クビになったら、困るんだよっ、可愛い子羊ちゃんを狩れねえだろ!」
 男は手当たり次第にものを蹴り散らし、怒鳴り続けている。
 怒りに満ちた声が地下室に響くたびに、ビリビリと電気のように空気が震え、子どもたちは身を硬くして、災いから自分を守ろうとからだを縮めた。
 わめいて、いくらか気持ちがおさまったのか、男は棚からスコッチの瓶を取り出すと、ごくごくと水のように呷った。
「ああ、うんめえ。酒がなくっちゃ、やってらんねえわ。おう、お前たち、おとうさまを慰めてくれよ。今日は辛いことがあったんだよ」
 わざとらしく哀れな声を出し、男は酒瓶を傾けながら、檻の中を見て回った。
「いま何匹いるのかな。ひい、ふう、みぃ、よう……たった六匹か。おとうさまは仕事をクビになっちまってな、お前たちの仲間をお迎えできなくなっちまったんだ。いま残ってるお前たちを大事にしなきゃなあ」
 檻の中を覗き込むたびに、子どもが奥に後ずさるのを見て、心底愉しげに笑う。
「そんなに、恥ずかしがるなよ。いつも優しくしてあげてるだろう?」
 へへへとにたついていたが、ふっと声が止んだ。
「おいっ!」
 急に不機嫌な様子で怒鳴りだす。
「おい、起きろ、なんだ、おめえは! おとうさまが帰ってきたってのに、寝てんのか? おいっ」
 男はポケットから鍵を取り出すと、がちゃがちゃとうるさく音を立てて、鉄格子の扉を開けた。
「出てこいよ、おらっ。…………お? なんだ? おめぇ……死んでんのか?」
 ちっと大きな舌打ちをした。
「なんてこったよ! 一匹減っちまったじゃねえか!」
 男は忌々しげに子どもの襟首を掴んで、ずるずると檻の間を引きずりながら歩いた。
 その小さな子はピクリともしなかった。
 だらんと力を失った手足。
 青黒くなった顔がこちらを向いている。
 痣だらけの頰。唇にこびりついた黒い血。
 眼窩はすっかり落ち窪み、頬骨が浮かんでいる。
 まるで骸骨のようだ。
 魂のない、無表情な顔。
「くそっ、お楽しみの前に死ぬなんて、腹の立つ野郎だぜっ!」
 男の無情な声が洞窟の中にこだまする。
「……っ」
 シエルはぎゅっと目を瞑った。
 僕も死んだら、ああなるんだろうか。
 あんな風に……まるでモノみたいに扱われて。
 
 いやだ。
 僕は絶対、生きて家に帰る。
 絶対、絶対…………!

to be continued….