花の香りは恋の予感

フラワーショップ店員セバスチャンと中学生坊ちゃんとのほのぼのラブストーリーです(2025.02.14)

店の前を毎朝通る少年がいる。
銀色に輝く髪をなびかせて、地面を軽やかに蹴って。
口にはたいていパンをくわえていた。
遅れそうになって、慌てて走っているのだろう。
きっと、この先の男子校の生徒なのだ。

その子の姿を見るたびに、セバスチャンの胸はほんわかと温かくなった。
花に水をやる手を止めて、しばしの間彼に見入る。
といってもあまり見過ぎては気づかれてしまうし、道ゆく人に怪しく思われるかもしれない。
仕事をしながら、あくまでもそっと、見ているのだ。

今日も彼はうららかな春の日差しの中、店の前を駆けていく。
ふわりと黄水仙の香りが薫った。



***
「なあ、シエル」
「なんだよ、ソーマ」
「イースター祭の模擬店、どーするんだ?」
「どうするったって……。アイデアなんかないよ」
 シエルの通う男子校ではイースターの復活祭に合わせて、文化祭を開催する。エッグハントやエッグロールなど定番のイースター行事のほかに、各クラスが工夫を凝らして模擬店を運営し、その売上を近くの教会に寄付するのである。外部からも人が来るとあって(女子含めて!)、学校ではイースター祭は一、二を争う人気のイベントだった。
 そのイースター祭が二週間後に迫っている。
 どのクラスも「執事カフェ」や「恐怖の館」や「占いハウス」など、女の子が好きそうなものを考えて、準備を進めている。なのにシエルのクラスだけ、この後に及んでまだなにも決まっていないのだ。
 シエルの親友を自負する、インドからの留学生ソーマは、迫りに迫った文化祭の模擬店が決まらないことにじりじりしていた。
「なあ、金ならいくらでもあるぞ。予算は心配するな!」
「だめだ! 学校の催事なんだから、決められた予算内でやるべきだろ」
「ちぇ、シエルはまじめだからな!」
 ソーマは椅子の背に両肘を乗せ、ぷーと頰を膨らませた。
「他のクラスがまだやってないものというと……」
 チェスロックが机に尻を乗せ、片手をついた。
「足指相撲大会なんてどうだ!」
「下心みえみえ、却下」
「アップルボビング!」
「それはハロウィンだろ。却下」
 いくつも案が出てくるも、そのすべてはいまひとつ。
「……もうないよ」
 クラスメートたちはみな頭を抱えている。
 そこへ、マクミランが小さな叫び声をあげた。
「そうだ!」
「なになに!」
 わらわらとマクミランの周りに男子たちが集まってくる。
「お花!」
「は?」
「女の子ってお花が好きじゃない? なにかお花を使った……」
「フラワーアレンジメントとか? 無理無理できないよ」
「なら、フラワーショップはどうだ?」
 シエルが言った。途端にみんなの顔が明るくなった。
「いいねえ」
「いい、いい」
「それにしよ」
 花はどうしよう、どこかで仕入れて来なきゃとみなが頭をひねるが、シエルの中ではもうどこにお願いにするか、決まっていた。
 あのフラワーショップだ。

 シエルがそのフラワーショップを知ったのは、ひと月前のことだった。
 夕方、学校を休んだ級友にプリントを持っていく途中で、いつも錆びたシャッターが下りていた空き店舗に、灯がともっていることに気づいたのだ。そっと覗き込むと、いつのまに改装したのだろう。ベージュと白に綺麗に塗られた壁、洒落た什器に花籠が飾られている。床にはずらりと並べられたバケツにたくさんの色鮮やかな切り花が挿してあった。
 シエルの目を引いたのは、花ばかりではなかった。奥で作業をしているひとりの青年。
 黒い髪に、遠目でもわかる整った顔。アイボリー色のシャツをスマートに着こなし、黒いギャルソンエプロンをしている。背はシエルよりも30cmは高いだろうか。花を扱う様子は、とても優しげで丁寧で。形の良い指で花を持ち上げた瞬間、はらりと長めの黒い前髪が額に落ちて……。それを見たとき、シエルの胸がどきんと大きく跳ねた。
「っ」
 そんな感情は生まれて初めてだった。
 胸がぎゅっと苦しくて、なのに少しだけ甘くて切ない思いがこみ上げてくる。
 未知の感情に戸惑っていると、作業をしていた青年がこちらに振り返りそうになり、シエルは慌てて頭を下に向け、足早に去った。
 翌日からシエルは、その花屋──『黒猫フラワーショップ』──の前を通って学校へ行くようになった。実をいえば、その道は学校へはちょっと遠回り。だからいつも遅れそうになって、ダッシュで走る。束の間、青年がシャッターを開ける様子や、花を準備している姿をちらりと盗み見るのが、嬉しかったのである。

「花屋、知ってるから、相談してみる」
 シエルが言うと、みんなは「よぉし、シエルにまかせた!」と大喜びで飛び跳ねる。ようやく決まった模擬店に勇み、バケツがいるよね、ラッピング材料だっているよと楽しげに騒いでいる。シエルはその様子を尻目に、心の中で「やった!」と拳を握りしめた。
 これはいい機会だ。あの店員さんと話すチャンス! 
 シエルの心は期待に弾んだ。

***
「──というわけなんです……。その……もしよかったら協力してもらえませんか」
 くだんのフラワーショップである。
 蚊の泣くような声で、シエルはおそるおそる例の青年に頭を下げている。
 つい相談してみる! なんて口が滑ってしまったけれど、よく考えてみれば、文化祭に協力なんて、たいして利益も出ないし、手間だけかかる。こんなお願い、無理かもしれない。心の中で後悔していると、
「よいですよ」
 涼やかな美声が落ちてきた。
「え?」
 顔を上げると、青年が明るく微笑んでいる。
「地元の学校のイベントに協力できるなんて、光栄です。嬉しいですよ」
 シエルはシャツの左胸に付けられた名札を素早く見た。
 セバスチャン・ミカエリス。
 セバスチャンっていうんだ、この人は。
 しっかりと脳内にその名を刻みこみ、
「ありがとうございます!」
 と元気よく、セバスチャンに礼を言って、そのまま帰ろうとした。
「ちょ、ちょっと待ってください。どんな花にするとか、数とか相談しなくてよいのですか?」
 後ろから慌てたような声をかけられ、シエルは赤面した。
「そう、ですよね! すみません、あんまり嬉しくて、僕……」
 真っ赤になったシエルの顔を見て、セバスチャンは優しげに口元をほころばせた。

 あの子とこんな風に会えるとは思わなかった。
 セバスチャンは、帰っていくシエルの背中を見つめ、密かに胸を高鳴らせていた。
 毎朝見ていた銀髪の彼。小さな顔にふっくらとした頰。間近に見ると、瞳の色が左右で違う。大きな瞳で見上げられて思わずドキリとした。
 初めて聞いた声は、心地よいアルト。一見ぶっきらぼうだけれど、ちょっとした拍子にのぞく、少年らしい柔らかな表情。
──できれば、彼ともっと親しくなりたい。
 セバスチャンは黒猫の描かれた店のシャッターを下ろしながら、そんなことを考えていた。
 

***
「おはようございます」
「おは…ふが、ございます、ふが」
 あれから、ふたりは毎朝挨拶をするようになった。
 シエルはパンを口にくわえながら、頭を下げて走り去る。その姿を愉しげに見送って、セバスチャンは開店準備をする。
 放課後になると、シエルは毎日のようにフラワーショップに寄った。
 もちろんそれは『文化祭の準備』のためだったが。
 話をしているうちに、セバスチャンは雇われた店員ではなく、このショップのオーナーで、花屋になりたいという念願の夢をかなえて、ここにショップを出したのだと教えてくれた。
「どうして花屋になりたかったんですか?」
 シエルが聞くと、セバスチャンは顎に指をそえ、
「そうですね。なぜでしょうか。子供の頃からの夢だったんですよ。色とりどりの花に囲まれて暮らしたいと……なんだか乙女みたいですね」
 恥ずかしそうに笑うセバスチャンの表情は、とても素敵だ。
 シエルは、
「いえ、花って見ているだけで気分がなごむし、それに……」
「それに?」
──貴方にはとても花が似合う。
 つい言い出してしまいそうになった言葉は、すばやく口の奥にしまいこんだ。いくらなんでも年上の男のひとに失礼だ。
 いえ、と軽くかぶりを振って、
「じゃあ、文化祭の花はチューリップと水仙と、あとは……」
 花に詳しくないシエルは、もじもじと言いよどんでしまう。
「ミモザやブルーベルはいかがですか?」
「ブルーベル……?」
 聞きなれない言葉にシエルは思わず呟いていた。
「小さな青い花で……、嗚呼、ちょうど今日入荷したのがありますから、少し待っていてください」
 と、セバスチャンは奥に入っていく。
 すぐに戻ってきたセバスチャンが手にしていたのは、小さなスズランのような花。
 花弁がスズランよりも少し長く、色は綺麗なブルー。青い鐘というのにふさわしい可憐な花だった。
「可愛いですね」
「女性に人気のある花ですから、文化祭でも盛り上がるかもしれません。花言葉は確か……『変わらぬ恋』です。ロマンチックでしょう?」
「花言葉?」
「ええ、花にはそれぞれ花言葉というものがあります。その言葉に合わせて、意中の相手に贈ったりしますね。たとえば赤いバラは『永遠の愛』です」
「あ! それ、聞いたことがあります」
 でしょう、とセバスチャンは微笑んだ。
 シエルはセバスチャンが持っている青い小さな花を、まじまじと見た。
──ブルーベル の花言葉。『変わらぬ恋』。
 その花言葉はシエルの胸をときめかせる。
「じゃあ、ぜひブルーベルを」
「おや、気に入ったのですか?」
「はい、あ、いえ、花が、です! あ、あとミモザもきれいですね。ミモザの花言葉はなんていうんですか?」
 シエルの好奇心はつきない。
 夜遅くなっても、セバスチャンと話し込んでいた。

 文化祭当日。
 シエルのクラスは大盛況だった。
 机を寄せて、台替りにし、各自家から持ってきたクロスをかけ、そこにたくさんの花々を飾った。切り花だけでなく、セバスチャンのアイデアで、花籠もいくつか置いた。さらに、各花の横には花言葉を書いたプレートを用意したのだ。
「ねえねえ、黄色いミモザは『秘密の恋』だって!」
「きゃあ♡」
 冗談っぽく笑いながらも、女子たちの目は真剣だ。
「このミモザください!」
「私は白いのを!」
「ちょっと、白いミモザは『死に勝る愛情』だよ! 重すぎ」
「いいの!」
 口々に喋りながら、彼女らは花を買う。だが、それだけではない。
「やだ、イケメン」
「……どうしよう」
 花を納品しに来たセバスチャンが、ついでだからといって、シエルたちを手伝うことになったのだ。たくさん買ってくれた女子には、セバスチャンが特別にかわいい花束にして渡す。
 その優しい雰囲気や端正な美貌に、女子たちがふわふわと舞い上がっているのが、シエルの目にもわかる。みんなセバスチャンの前に並び、彼に花束を作ってもらおうと懸命にアピールしている。
──すごい! あんなにもててる。
 チリチリと何かが胸を焦がす。その感情は初めてのもので──シエルはわけもわからず苛立った。
 しかし他の男子たちはシエルの様子に気づかない。セバスチャンに負けてはならじと、彼の手つきを真似てブーケを作り、教室に集まってくる女子に次々と売り込んでいる。教室は盛り上がり、みなわいわいと楽しげだった。
「おい、シエルってば、記録写真撮ってる?」
「そうだよ、女子ばかり見てないで、ちゃんと働けよ」
 シエルははっと気づいた。
 花の調達ばかりでなく、当日の記録も押し付けられていたのだ。
「ごめ、忘れてた」
 慌てて教室の入り口にたって、スマホを構え、全景を取る。それから一連の花を取り、男子たちが懸命に接客している様子を……しかしカメラが追うのはセバスチャンの姿。すらりとした立ち姿、はらりと額に落ちた黒髪、女子に花を渡す優雅な手つき。胸を高鳴らせながら、何枚もシャッターを切った。

***
「お疲れ様でした」
「お疲れ様でした、ありがとうございました!」
 夕方、花の散乱した教室をシエルと一緒に片付けたセバスチャンは、籠やバケツを抱えて、帰り支度をしていた。
「あ、僕、持っていきます!」
「よいのですよ。みなさんはダンスパーティーに行っているのでしょう? 貴方は行かなくてよいのですか?」
「パーティーなんて」
 そんなことよりも、貴方と一緒にいたい。
 その言葉を喉の奥に呑み込んで、
「人が大勢いるのは苦手なんです。手伝います!」
 と元気よく言って、残った道具を集めていく。

 二人揃って校門を出た頃には、もうすっかり日は暮れて、星が出ていた。
──もう、こんな風には会えないんだな。
 シエルはふと寂しくなった。
 この二週間、毎日のようにフラワーショップに通って、花の話をした。
 セバスチャンは優しくて、にこやかで、いつでもシエルを温かく迎えてくれた。
──でも、それは文化祭のためだから。
 文化祭が終わってしまったら、店に行く口実がなくなる。朝の挨拶だけになってしまう。それだって、前よりは進歩だけど……。

 セバスチャンもまた物思いにふけっていた。
 どうにかして彼とまた話をしたいけれど、こんな年上の男がお茶など誘ったら、危ないやつだと思われるだろう。
 朝の挨拶だけで満足すべきなのだ。

 シエルとセバスチャンはショップにすべての道具を運び込むと、
 ぎこちなく、
「どうも、ありがとうございました」
「いえいえ、またなにかあったら、お気軽にいらしてください」
 お互いにそう言うのが、精一杯だった。
 シエルは肩を落とし、くるりと踵を返す。
 そのとき、ポケットからスマホが滑り出て、足元の花籠に落ちたことを、シエルは気づかなかった……。

***
 翌日のことである。
 今日は朝からよく晴れている。
 セバスチャンはいつものように、店の前を走っていくシエルに挨拶すると、得意先に届けることになっている花籠の準備を始めた。
 と。
 昨日、学校へ持っていた籠の中になにかが落ちている。携帯だ。文化祭で誰かが落としたのだろうか。届けてあげなければならない。持ち上げると、ロックのかかっていない画面が付き、待受画面に男が写っているのが目に入った。
「え……?」
 そこには男が長い前髪をかきあげている写真があった。その顔は何度見直しても、自分にしか見えない。
「どういうことです」
 自分の姿を勝手に撮り、待受にするなんて、なんて失礼な人間だろう。きっと、あのとき来校していた女子生徒に違いない。
「もしかすると、他にもあるかもしれませんね」
 セバスチャンは写真フォルダを見て、絶句した。フォルダの中でずらりと並んでいたのは……セバスチャンが花を女子生徒に渡している写真、花籠の様子を見ている写真、男子と談笑している写真……。中には他の男子生徒や教室の様子なども写っていたが、半分以上がセバスチャンだった。
「気持ちが悪くなってきました」
 いったい誰が盗撮したのか。いつの間にか撮られた自分の写真を見て怒りに震えていると、不意に手元の携帯が震えた。表示を見ると、公衆電話である。
 この携帯の持ち主に違いない! 
 セバスチャンは勢い込んで、通話ボタンを押した。
「もしもし?」
「あっ、よかった! それ、僕の携帯なんです。探していたんです。どこに……」
 女子ではない。男の子だ。いやしかし、盗撮に男も女もない。どこかで聞いた覚えのある声だったが、怒りに沸騰しているセバスチャンは、気に留める余裕がなかった。
「貴方ですね、私の写真を勝手に撮ったのは!」
「えっ…?」
「なんのつもりですか? 人の写真を盗撮して!」
「あの、貴方の、写真……?」
「そうです。私は貴方が撮った、黒猫フラワーショップのオーナーです!」
 言った途端に、電話の向こうがしんと静まり返った。
「もしもし?」
「……」
 沈黙が続く。
「もしもし?」
「あの……すみません、でした」
「ちゃんとこちらに来て謝りなさい。そして私の写真を削除してください」
「……はい、ごめん、なさい」
 電話の主は随分反省しているようだ。小声過ぎて、聞き取るのもやっとのほど。  セバスチャンは少し可哀想に思い、声を和らげた。
「いつこちらに来ますか」
「今日の、放課後に行きます」
 通話が切れた。
 しょんぼりとした様子が目に浮かぶようだ。怒りのあまり、名前を聞くのを失念してしまったが、まあ来ればわかるだろう。あまり、怒りすぎないようにしよう。
 セバスチャンはスマホをデスクの引き出しにしまうと、仕事に集中した。

 しまった……。
 シエルの頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。
 文化祭でこっそり撮っていた写真をよりによって、本人に見られてしまった。
 いったいどうしたらいいんだろう。
 放課後に行くと約束したけれども……スマホの持ち主が僕だと知れたら、きっと幻滅される。もう朝の挨拶もしてくれないかもしれない。

 春の一日は短い。が、シエルにとっては長い長い一日だった。授業中も集中できず、青ざめた顔でうつむき、先生から「ファントムハイヴ大丈夫か? 保健室へ行ったほうがいいんじゃないか」と心配されて、何度もかぶりを振った。
「はぁ……」
 放課後、シエルは重い足をひきずって、黒猫フラワーショップに向かっていた。
 一歩進むごとに、ひとつため息が出てくる。今日一日で一生分のため息を吐いた気がする。できれば、このまま家に帰りたいけれど。
「こんにちは……」
 店先で、切り花を整理していたセバスチャンに声をかける。
「おや、こんにちは。いま帰りですか」
「……はい」
 セバスチャンはいつものように笑顔を見せてくれて、それが一層心に痛い。
「あの」
「なんでしょう」
 セバスチャンが少し身をかがめて、耳を傾けてくれる。
 シエルは思い切って口にした。
「スマホ……僕のなんです! ごめんなさいっ」
「えっ?」
「ごめんなさい!」
 顔も見ずに、頭を下げた。
 そのままじっと動かない。
 重苦しい沈黙が降りてくる。
 シエルは一層不安を覚え、自分の靴の先を見たまま、もう一度、
「ごめんなさい……」
 と謝った。
「──貴方のでしたか」
 セバスチャンが困惑したような声を出した。
「はい。僕のです。僕が貴方を撮りました。すぐに削除します」
 とおどおどと顔を上げ、手を差し出す。
 セバスチャンはなぜか戸惑った顔をして、シエルを見つめている。その耳が少し赤いことに気がついた。
「え……」
 相当怒っているのだろうか。
 どうしよう。
 もしかしたら殴られるのかもしれない。
 それとも、盗撮の罪で警察に通報される……?
 妄想がどんどんと膨らみ、足がガタガタと震え出す。
「本当に、貴方が撮ったのですか?」
「はい、ごめん、なさい」
 なぜか、セバスチャンはなかなかスマホを渡さない。
「──なぜ私を撮ったのです?」
「それは……」
 まさか、貴方が好きだから、なんて言えない。
 なんて言ったらいい? なんて答えたら?
「そ、それは……その」
 シエルは言い澱み……逆ギレした。
「そんなのどうだっていいじゃないですか! 記録用に撮ったら、たまたま貴方が画面に入ってきて!」
「では、待受にしたのはどういうことです?」
「……っう、もう、返してくださいっ」
 セバスチャンの手から、スマホを奪い取り、
「消せばいいんですよね、ほら、いま消しますからっ」
 写真を出し、削除ボタンを押そうとする。その腕をバッと掴まれた。
「待ってください」
「え……?」
「待って」
 見上げれば、セバスチャンがじっとシエルを見下ろしている。その表情は灯りの影になっていてわからない。
「待て……って、なんで? 気分悪いでしょう? 消しますから……」
 言ってシエルは、手を振りほどこうとする。だが、ますます強く掴まれる。
「消さないで、ください」
「……?」
 セバスチャンの声が少しずつ小さくなっていく。
「よかったら、消さないで」
 一体この人はなにを言っているのだろう。
 盗撮された自分の写真なんて気持ち悪い以外ないだろう。
 なのに。
「消さないでください」
 セバスチャンはもう一度繰り返した。
「どうして……?」
「……」
 セバスチャンは答えない。
 シエルはすっかり困惑してしまった。
 結局、なにがなんだかはっきりしないまま、シエルはスマホを返してもらい、帰宅の途についた。

──まさか、彼があのスマホの持ち主だったとは……。
 セバスチャンは予測不可能な出来事に当惑していた。
 あのたくさんの自分の写真、そして待受画面……。
 どう見ても、自分に気があるとしか思えない。
 けれど。
「こんなおじさんを、好きになるわけがない」
 自信のないセバスチャンである。そもそも彼は自分自身の美貌にはまったく無頓着だ。自分のルックスなど十人並みと信じている。そんな自分に、少年が憧れるわけはないのだ。
──だが、私は?
 彼よりも十三歳も年上だけれど、彼のことが気になっている。いや、気になっているどころではない。胸がときめいて、切なくてどうしようもないのである。
「この気持ちを、伝えたほうがよいのでしょうか……」
 セバスチャンの写真を撮るぐらいの彼である。全然脈がないはずはない。告白してみようか。そんな楽観的な意識も生まれてくる。けれどフラれるのは怖い。朝の挨拶もなくなってしまうのは嫌だ。セバスチャンはどうしたらよいのか、すっかりわからなくなってしまった。

***
 それからというもの、シエルはあの道を通るのをやめてしまった。
 セバスチャンと顔を合わせるのが、なんだか申し訳ないような怖いような気持ちになって、ついつい避けてしまうのだ。自分の写真を消すなと言われて、彼が何を考えているのかわからないのもあり……あれやこれやで気詰まりになったのである。
 おかげで朝の時間に余裕が生まれて、トーストも口にくわえずに、朝食を食べてから家を出られる。朝礼前にちゃんと席にもつけるようになった。
「シエル、最近、朝早いじゃん、前はギリギリだったのに」
「まあな」
 言われても微塵も嬉しくない。自分から避けているけれど、やっぱり朝、会えないのは寂しいことだった。休み時間になると、スマホをつけてはセバスチャンの写真を見ている。
 味気なく一日の授業が終わり、帰り支度をしていると、窓辺にいたマクミランが大きな声を出した。
「校門に誰かがいるよ!」
「え、なになに」
「あの人、フラワーショップの人じゃない?」
「そうだよ! 何しにきたんだろ?」
 シエルがみんなの肩越しに見ると、セバスチャンが立っている。
「……?」
 セバスチャンはシエルのクラスのほうを見上げていた。
「なんか、僕らに用事があるみたい……?」
「え、文化祭の文句とか? 俺らなにかしでかしたっけ?」
「おい、行けよ、シエル」
「なんで僕が……」
「お前があの人を文化祭に連れてきたんだろ。行けってば」
 みんなに押されるようにして、シエルは教室から追い出され、カバンを胸に抱いて、しぶしぶと校門まで歩く。
 近くに行くつれて、セバスチャンの顔が引きつっているように見えて、怖い。
 また怒られるんだろうか。びくびくしながら、口を開いた。
「あの……」
「なぜ、来ないのですか?」
「え」
「こちらは毎日毎日待っているんですよ。朝は朝で貴方は店の前を通らなくなりましたし、夕方も立ち寄らない。これでは話をする隙もないではありませんか!」
「は、はい……」
 なぜ一方的に怒られているのだろう。自分がなにをしたのか、全然わからない。気まずくて、あの道を通らないだけなのに。
「これを」
 すっと腕を差し出された。
「え」
 そこにあったのは一輪の白バラ。
「では」
 セバスチャンはシエルに口を開く暇を与えずに、さっさと遠ざかっていく。
「あの!」
 とシエルが呼びかけても振り向きもしない。
「いったい、なんなんだ……?」

***
 シエルの家である。
 一輪の白バラを握って帰ってきたシエルに、リビングにいた母親が
「あら、白バラなんて随分ロマンチックね。女の子からもらったの?」
「え、なに?」
「まあ、シエルったら知らないの? 白バラの花言葉はね……」
 聞くや否や、シエルは家を飛び出した。
 白バラの花言葉、それは……。
 走りに走って、黒猫フラワーショップに着いたときには汗びっしょりだった。
 シエルに気づいたセバスチャンが、奥から不安そうに表に出てくる。
「あの、あの」
 息を切らしながらシエルがやっとの思いで言った。
「僕も、僕も! 貴方に恋してます!」
「嗚呼!」
 セバスチャンの顔が、花が咲いたようにパッと明るくなった。

 白バラの花言葉、それは……「貴方に恋しています」だった。