2026年2月14日セバシエwebオンリー参加書き下ろし作品です
小鳥のさえずり。
厚い天鵞絨のカーテンの隙間から、うっすらと細い光が射しこんでくる。
「ぼっちゃん、おはようございます」
「ん……」
今日のセバスチャンは機嫌がよいのだろうか。いつもよりも声のトーンが少し高い。
ごしごしと眠い目をこすれば、ワゴンに紅茶の支度がしてあるのが見えた。だが、当のセバスチャンの姿は見えない。
「……? セバスチャン?」
訝しげに呼ぶと、
「はい、なんでしょう。ぼっちゃん」
と返事が来る。
一体どこにいるのだろう。ざっと部屋を見回しても、どこにも見えない。
「わたくしでしたら、こちらにおります」
なぜか、声が下から聞こえる。そしてなぜか、舌足らずだ。
からだを起こして、目線を下げた。
その瞬間。
シエルの顔が固まった。
「えええっ!?」
そこには燕尾服を着た、五歳ぐらいの小さな子どもがいた……。
[chapter:朝、起きたら執事が小さくなっていた!]
「な、な、なんだ、お前っ、誰だっ!」
シエルが眉を上げて怒鳴ると、
「セバスチャンです。あなたのセバスチャンですよ」
とセバスチャンと名乗る子どもはベッドの縁に手をかけ、一生懸命、爪先立ちで伸び上がった。
「嘘をつくな!」
責めれば、その子は涙目になって、
「ぼっちゃん、わたくしはあなたにウソはつきません。そういうけいやくでしょう?」
いかにもセバスチャンが言いそうなセリフだが、にわかには信じられない。
「しんじて、いただけないのでしたら……」
子どもは小さな手を口に持っていき、白手袋を唇で、すいっと抜いてみせた。いつもセバスチャンが格好をつけて、やる仕草だ。子どもがやってもちっともサマにならないが。
子どもはむき出しの左手の甲を見せた。ふくふくとした可愛らしい手には、まぎれもなく契約印がある。シエルの右目に刻まれたものと同じ徴。
「いかがでしょう、ぼっちゃん。しんじていただけましたか?」
子どもはシエルの顔を窺った。
信じるもなにもない。契約印があるのなら、それはセバスチャンに違いない。
「……どうしてそんな姿になった」
問えば、セバスチャンは不思議そうに頭を傾げて、
「わたくしにもわからないのです。あさ、おきたら、こうなっておりました」
と自分のからだを見下ろす。
つられてシエルも見てみたが、奇妙なのは燕尾服も小さくなっていることだ。これはセバスチャンにとって皮膚と同様なのだろうか。からだのサイズが変われば、連動して燕尾服のサイズも変わる……? いや、考えても無駄だ。いまはこの事態をなんとかしなくては。
「元に戻れないのか?」
悪魔の力をもってすれば簡単だろう、と続けるも、セバスチャンは首を横に振り、
「さんざん、ためしてみましたが、まったくだめなのです。おそらく、これは『せかいのことわり』のせいかと」
「世界の理?」
「わたくしにもしらぬルールが、このせかいにあるということです。そのきんき(禁忌)にわたくしはいつのまにか、ふれてしまったのでしょう……」
悔しそうに唇を嚙む。
「そうか」
そんな大層なものに触れてしまったとは、いったい何をやらかしたのか。気にはなるが、ここはあえて聞かないでおこう。
しぃんと寝室に沈黙が広がる。
「ああ、ぼっちゃん、こうちゃがさめてしまいますね。すぐにおいれいたしましょう」
セバスチャンはきょろきょろと辺りを見回し、隅にあった踏み台を持ってくると、その上によじのぼり、ワゴンの上のティーポットを持ち上げようとした。
「おっとっと」
五歳児の手にはティーポットはあまりにも大きい。
「いい、僕がやる」
「しゅじんにそんなことをさせては……」
「お前にやらせるほうがよっぽど嫌だ。火傷なんかされたら寝覚めが悪い」
そう言って、手を伸ばせば、小さいセバスチャンはぽっと頬を赤らめた。
「ぼっちゃんは、わたくしのことがすきなのですね……」
「はあああっ? 何を言ってるんだ! 悪魔を好きになるわけないだろう」
「いえいえ。まえまえから、わたくしにはわかっておりました」
シエルの言うことなどまったく聞かず、うんうんと一人頷きながら、そろそろとティーポットを掴む。あぶなっかしく傾けるも、日々馴れた仕事だからか、どうにかこうにかティーカップに紅茶を注いだ。
「はい、どうぞ」
渡されて、ひと口飲めば、それはいつもよりもぬるく苦かったが、文句はいえまい。こんなに小さなセバスチャンが一生懸命淹れたのだ。その努力は汲んでやらねばなるない。
幸いなことに、今日、使用人たちは全員、ファントム社新事業である旅行部門のモニターとして、ストラドフォードに出かけている。戻るのは明日の予定だから、とりあえずセバスチャンの姿を見られる心配はない。
「セバスチャン、今日の予定は……?」
「ほんじつのごよていは、バイオリンのおけいこと、ダンスのレッスンでございます」
こちらも幸いなことに、それぞれの教師はそれぞれ都合が悪く、はじめからセバスチャンが直に教える予定だったらしい。
「せんえつながら、わたくしが、ぼっちゃんをおおしえいたします」
ふふんと偉そうにドヤ顔をしてみせる小さなセバスチャンである。ドヤっても、幼児にいばられているようで逆に微笑ましい。シエルは苦笑しながら、パタパタと前を歩くセバスチャンの後について、レッスン室に向かった。
***
しかし──所詮、子どもである。
背丈が足らず、台に乗っても、譜面台に届かない。譜面が読めなくては、シエルに指示が出せない。それにモミジのようなちっちゃな指では、ピアノでの伴奏もできなかった。
ダンスの練習に切り替えてみても、同じこと。シエルと身長の差がありすぎて、まるで相手ができないのである。
普段は見下ろされているシエルが、今日は見下ろす側である。優越感に浸りそうになるが、がんばっているセバスチャンを見ると、それは意地悪をしているようで心持ちがよくない。
「わたくし、ぼっちゃんのおやくにたてていませんね」
セバスチャンは寂しそうな顔をすると、「おやしきのしごとがありますので」、とトボトボと去っていった。
「セバスチャン……」
心配である。
あのサイズで、屋敷の仕事。
それはかなり難易度が高いんじゃないか。
そう思ったシエルは、後をつけてみることにした。
トコトコとセバスチャンはランドリールームに入って行く。
シエルが扉の裏に隠れて、覗き見れば、やはり……。
「ああああっ!」
セバスチャンが叫び声を上げている。
棚の上の洗剤を取ろうとして、やっと取ったはいいものの、勢いで床に洗剤をぶちまけてしまい、慌ててバケツの水で拭き取ろうとするも……
(あ、危ないっ!)
シエルは息を呑んだ。
案の定、セバスチャンはバケツに足をぶつけ、倒してしまって辺り一面、水浸し。
雑巾で拭けば、ぶくぶくと大量の泡が発生し、メイリンも真っ青のていたらくである。
「うう」
セバスチャンは唸りながら、一生懸命拭いている。その上をふわふわと虹色のシャボン玉が飛び交っていた。
ようやく、ランドリールームを片付け、セバスチャンは「ふう」とひと息吐くと、おもむろに懐中時計を取り出した。もちろん、懐中時計もミニサイズである。
「いけない。もうおひるのじかんですね」
タタタとシエルのいる扉のほうへ走ってくる。シエルは慌てて壁に張りついた。
その前をセバスチャンは通り過ぎ、シエルはぺたり、ぺたりと、と忍者のように壁に張りついて、あとを追う。
が。
「ぼっちゃん」
「うわっ!」
いきなり振り返られて、飛び上がった。
「さきほどからわたくしをつけているようですが……」
「あー、それは、その……」
「そんなに、わたくしのことがすきなのですか?」
ふふと顎に手を添えて、笑う。本人は妖艶に笑っているつもりだろうが、なんといっても五歳児である。だいぶ絵面がおかしい。
「いや、そういうわけじゃ……」
「たいへん、うれしゅうございます。ですが、ぼっちゃんのちゅうしょくのごよういがございます。おへやでおまちください」
とセバスチャンはにこにこと満面の笑みを浮かべ、楽しげにスキップしながら厨房に向かうのであった。
「ぼっちゃん、おまたせいたしました」
運んできたのは、切れ目がガタガタのサンドイッチ。
ちっちゃな指では大人サイズのナイフをうまく扱えなかったのだろう。指は絆創膏だらけである。
「いかがですか?」
恐る恐る、シエルの顔を見上げる。
ひと口食べて、心の中でうへぇええとなった。
パンの切り口はともかく、たっぷり塗られたマスタードはムラになり、ちぎったレタスの間に挟まれた鶏肉はゆですぎて固くなっている。もそもそと咀嚼して、飲み込んだ。
「……まあまあだな」
と答えると、セバスチャンは眉をひそめた。
「ぼっちゃん、しようにんに、そんたくなどむようです。おいしくなければ、ないとはっきりおっしゃってください」
毅然としてそう言われれば、真剣に答えねばなるまい。
「……うまくは、ない」
正直に伝えてみた。
すると、みるみるうちにセバスチャンの顔が曇っていく。
「もうしわけございません。しゅじんのまんぞくのいくものをつくれないなど、しつじしっかくです……」
肩を落とし、部屋から出て行ってしまった。
***
セバスチャンはしょんぼりと、残った鶏肉とレタスを皿にのせると、厨房の裏戸を開け、段の上にそっと置いた。
どこからか、にゃあ、という鳴き声がして、黒猫が現れる。
黒猫は小さなセバスチャンを見ても驚かず、いつものようにすりすりと足の周りを一周し、それから、鶏肉を食べ始めた。はぐはぐと食べる猫の姿はいつ見ても可愛らしい。自分が小さくなったせいか、若干大きく見えるけれど。
猫の頭を優しく撫でると、くるるると喉を鳴らしてくれる。
その音色に少しだけ慰められたものの、落ち込んだ気持ちは持ち上がらなかった。
こんなに失敗だらけの日は初めてた。
主人は気を悪くした様子はないが、なんだか憐れまれているようで、いたたまれない。
「ばんかいしなくては、いけませんね」
セバスチャンは憤然と立ち上がった。その勢いにびっくりして黒猫が飛び退る。
「ああ、おどろかせてしまいましたね。どうぞ、ゆっくりたべてください」
もうあたりは夕暮れである。
セバスチャンはゆっくりと屋敷に戻っていった。
***
しかし、晩餐も惨憺たるものだった。
ヴィシソワーズを目指したらしいじゃがいものスープはざらざら、卵料理は半生、サラダは昼に出たちぎったレタスと分厚い生玉ねぎ、そして焼きすぎて焦げたパン……。だが、小さなセバスチャンにはそれが精一杯だったのである。
「ぼっちゃん、もうしわけありません」
セバスチャンは蚊の泣くような声で謝った。それでもテーブルには、温室で摘んだらしい白バラが数本不器用に飾られていて、主人を喜ばせようという気持ちが見える。
「大丈夫だ。きっとそのうちに元に戻るだろうし……たまにはこんな日があったっていい」
「……ありがとうございます」
とセバスチャンはまた涙目になる。
小さくなってから、セバスチャンは涙もろくなったとシエルは思う。やはり、からだの大きさと精神年齢は一致してしまうのだろうか。若干幼くなったセバスチャンをシエルは可愛いと思い──一秒後にないないと否定した。
「可愛いだなんて」
微塵も思っちゃいけない。ああ見えても悪魔なのだ。サイズにごまかされてはならない。
さすがに、今のセバスチャンに風呂の用意は無理だから(当人はやると言い張ったが)、今夜はパスして、ひとりで寝間着に着替え、ベッドに入った。
「やれやれ……」
今日はいつになく、疲れた。
知らぬ間にちっちゃなセバスチャンに気を使っていたのだろうか。
シエルは上掛けをかぶると、すぐに寝入ってしまった。
深夜である。
扉が開いた気配がして、シエルは目を覚ました。
「誰だ……?」
少し開いたカーテンから月の光が差し込んで、扉のそばにセバスチャンが立っているのがわかった。
「ぼっちゃん」
「どうしたんだ、こんな夜中に」
声をかけると、セバスチャンはすすすと寄ってきて、よいっしょ、よいっしょとベッドに這い上ってきた。
「な、なんなんだ。いったい」
「夜伽に来ました♡」
「ええ──!?」
黒目がちな目をきゅるんとさせて、ごそごそと上掛けの中に入って来る。
「ぼっちゃん♡」
「な、え、いや……」
あまりのことに言葉が出てこない。
「ぼっちゃん、えんりょなさらないでください。ひるま、わたくしのことがすきだとおっしゃったではありませんか」
「言ってない!」
「いったもどうぜんです! ぼっちゃんがわたくしめをおもっていることは、きょういちにちのようすで、はっきりとわかりました」
「いや、それは」
「ぼっちゃんにごまんぞくいただけるよう、このサイズならではの、せいぎ(性技)をごらんにいれます」
ちゅっと、シエルの手の甲にキスを贈る。
「いや、ご覧に入れなくていいから!」
しかし、セバスチャンは無言で、シエルの寝間着のボタンをはずし始めた。ちっちゃな指が不器用にボタンをいじって、こそばゆい。
「むずかしい、ですね」
思うようにはずれないのか、焦れったそうに顔をしかめて、指を動かしている。その眼差しは真剣だ。
シエルは、セバスチャンのぷっくりした手首を握って、寝間着から離した。
「ぼっちゃん……?」
「本当にいいんだ。セバスチャン」
困り切ったシエルの顔を見て、しゅん、とセバスチャンはうなだれた。
が、突然何かが閃いたようで、
「では! わたくしがしたになります! ぼっちゃん、どうぞ、わたくしをおすきにしてください」
「何を言ってるんだ!?」
デン! とベッドに大の字になり、
「こう、わたくしのあしをもちあげて、ぼっちゃんの……」
もぞもぞとトラウザーズを脱ぎ出した。
シエルはあわあわとそれを止め、
「セバスチャン」
真顔で言った。
「そんなこと、する必要はない」
「……ひるまもおやくにたてず、せめてよるならば、ぼっちゃんをまんぞくさせられるのではと、おもったのですが……」
セバスチャンはいまにも涙をこぼしそうだ。
「気にするな、さあ、もう寝ろ。今日は疲れただろ」
「おやさしいのですね、ぼっちゃんは」
セバスチャンはぐすんと鼻をすすって、シエルの胸ににじり寄る。シエルは黙って、セバスチャンを抱き寄せた。さらさらとした黒髪を撫でる。
こうやって、小さくなったセバスチャンを撫でていると、まるで子ども時代に戻ったような気がしてくる。幼い頃、兄と一緒にベッドで眠っていたときのこと。母と父の間に挟まれて、頭を撫でられ、安心して眠ったこと……。
「ぼっちゃ……」
むにゃむにゃとセバスチャンが寝言を言っている。悪魔には睡眠が必要ないといつも言ってはいたが、子悪魔には眠りが必要なのかもしれない。
シエルはぬいぐるみを抱くように、セバスチャンを胸に抱き、眠りについた。
***
「坊ちゃん、おはようございます」
「ん……、セ、バスチャン……?」
ねぼけまなこで、横に眠っている小さなセバスチャンに腕を伸ばす。
と。
背に大きな手を添えられ、そっと抱き寄せられた。
「っ……?」
「坊ちゃん」
もう一度、甘い声で呼ばれて、ハッとした。パチッと大きく目を開けば、目の前にいるのは。
「セバスチャン! 元に戻ったのか!」
涼やかな笑みを浮かべた男が、ベッドの中にいた。
「はい、坊ちゃんの愛の力で」
「はぁあ? 愛? 寝言はいいから、さっさとベッドから出ろ!」
怒鳴ると、セバスチャンはにやり、と口元を上げた。
「坊ちゃんはやはり私のことが大好きだったのですね。お気持ちをはっきり知ったからには、このミカエリス、今夜からは主人と同衾して……」
ばこばことその頭を枕で激しく殴った。
「勘違いも大概にしろ! とっとと出て行け! いますぐ顔を洗ってこい!」
セバスチャンははいはいと返事をしながらベッドを降りるも、その顔はにやけている。
「坊ちゃんが私を抱いてくれるなんて……」
「変な言い方をするな!」
クスクスと笑いながら、執事は軽やかな足取りで寝室を出て行く。
「あいつ……!」
小さいときのほうがよっぽど可愛かったと、シエルは鼻息を荒くする。
やがて階下から、坊ちゃーん、いま帰りましただよー! と賑やかな使用人たちの声が聞こえてきた。
fin