ガレット・デ・ロワ

「坊ちゃん、本日のおやつは新年にふさわしく、ガレット・デ・ロワでございます。昨日から準備した折込パイに、スペイン産マルコナ種のアーモンドプードルを使ったクレームダマンドを入れ、ほっくりコクのある味わいに。中には坊ちゃんをイメージしたかわいらしいフェーヴ (豆粒大の人形)を仕込み、仕上げのナイフ飾りも麗しく、それはもう、ファントムハイヴ家ならではのリッチなスイーツで……」
淀みなく続く執事の言葉を主人は遮る。
「セバスチャン」
「はい?」
「実は、甘いものは嫌いなんだ」
「……え……?」
「聴こえなかったのか? 貴様の作るスイーツなんか、喰いたくないんだ」
凍りつくセバスチャン。
「坊ちゃん…!そんなことは…そんなことはないはずです!」
「貴様に僕の何がわかる?」
「坊ちゃんはいつもおいしそうに私の作ったスイーツを召し上がっていたではないですかっ」
「そんなのは演技だ。見抜け、駄犬!」
「……ッ。お仕えするようになってから3年間。貴方は毎日私のスイーツをそれはそれはおいしそうに召し上がっていました。あれが演技ですか…」
セバスチャンの訴えにシエルは氷そのものの目線を送った。
「そういうわけだから、今日からスイーツは不要だ。あ、紅茶も甘いのは嫌いなんだ。砂糖なしで」
シエルはパタパタと手を振って、部屋から出て行くよう無言で命じた。

****
肩を落としたセバスチャンは厨房に戻り、ガレット・デ・ロワをポイッと使用人たちに投げ渡した。
「お好きになさってください」
降ってわいたおやつに使用人たちは有頂天。ありがとうございます~!と即座にぱくつく4人+ 家令。
「あああっ、私にフェーヴが当たったですだっ!今年の王様ですだよ!」
「すごーい、メイリンさん!」
「お前の命令なんざ、聞かないぜ」
「…王は私だ…ってゲーテが言ってる」
「ほっほっほっ」
浮かれ騒ぐ5人の前を、セバスチャンは幽霊のようにふらふらと通り過ぎる。
「はぁ……。坊ちゃんに必ず当たるように、幸運のフェーヴを仕込みましたのに…」
主人の演技を見破れなかったとは執事失格です。しかし甘いものがだめながら、おやつにはなにを差し上げたらよいのでしょう。サンドイッチ?…だめだめ、食の細い坊ちゃんのこと、晩餐前にがっつり召し上がっては、食事が入らなくなります。それなら、ケーク・サレ?キッシュ?チーズスフレ?嗚呼、思いつかない…。アフタヌーンティーの時間はとっくに過ぎているというのに。
「どうしたのですか? セバスチャン」
常と違うセバスチャンの様子に、タナカが後ろから声をかけた。その口元にパイ屑がついている。
「…お口にパイが」
そっと白手袋の指ではらってやった。いつもは坊ちゃんにして差し上げていることなのに、よりによってタナカさんに。セバスチャンは何度目かのため息をついた。
「なにか悩んでおりますかな?」
タナカの慈しみに満ちた口調にセバスチャンはつい甘えたくなった。
「はい、実は……」
かくかく、しかじか。
「なるほど、そうでしたか。そういえば先代も大きくなってからは甘いものはあまり召し上がりませんでしたな。坊ちゃんもそろそろ…」
「ですが、とりあえず、今日のアフタヌーンティーをどうにか乗り切らないと」
「では、こちらなどいかがですかな」とタナカが懐から包みを取り出した。

*****
「お待たせいたしました」
しずしずと盆を提げて主の部屋へ入る。
「遅いぞ、セバスチャン」
「申し訳ありません。本日のおやつは、日本から届きました『センベイ』と『番茶』でございます」
「なんだ?それは」
執事はすっと流れるような動作で、机にセンベイと番茶を置く。
「お米の粉でできたお菓子でございます。甘味はございません。番茶は香ばしく、さっぱりとした味わいで、砂糖、ミルクはご不要です」
「……」
シエルは疑い深そうに、机上の茶菓子を見つめた。パキッと割って、小さなかけらを口に入れる。しばらく口の中でころがしていたが、ごくんと噛まずに飲み込んだ。
「!?。坊ちゃん、それは噛まないと…」
「いいんだっ!これでっ!!」
番茶を手に取り、ふうふうずるずるとゆっくり口に入れる。
「坊ちゃん、それはさっと飲まないと冷めて…」
「だから、いいんだっ!、いちいち僕に指図するなっ!」
緩慢に口を動かす主人。
「お味はいかがでございますか」
「…うん、まあ……」
見ればセンベイは半分も手をつけていない。お茶もどんどん冷めていく。
「お下げしましょうか?」
「いやいい、ゆっくり食べる。お前は下がっていい」
「…御意」
おかしい。いつもなら気に入ればペロッとたいらげますし、気に入らないなら下げろと言うはずです。なんだか妙ですね。頭を下げて部屋から出たものの、セバスチャンはそのまま扉の外に留まり、主の様子を盗み見た。
シエルは残ったセンベイをしばらく見つめていたが、口を大きく開けて、思い切りガジッと噛んだ。
「~~~~ゥッ」
すぐに頬を抑えて机に突っ伏す。番茶を口に入れて、「…ハッ…ウゥ…」ともだえ苦しんでいる。
──坊ちゃんッ!?まさか。
ばんっ!とドアを開き、セバスチャンはツカツカとシエルに歩み寄った。
「なんだ、セバスチャン、下がれと言ったはずだぞ!」
「坊ちゃん、お口を大きく開けてください」
「な、な、なんだ?」
「ほら、あーんと」
「嫌だっ」
「ダメです。お口を!」
シエルの顎をつかみ、指を突っ込んで、無理矢理開けさせ、口の中をのぞきこんだ。
「らめら…ったらっ れわすちゃん!!」
暴れるシエルを抑えて、口の奥まで指で探る。
「ああああッ、らめっ、らめっ!」
汗をだらだら流し、セバスチャンの手をはがそうとする。
「坊ちゃん、これは……!」
テノールの声が、シエルの耳に意地悪く響いた。
「虫歯、ですね?」

*****
「ひーィッ」
涙目のシエルは、頬をおさえて、椅子にうずくまっている。痛みでどうにもならないらしい。
「どうしてこんなになるまで、教えてくださらなかったのです」
「ろーしてもこーしても、はいしゃがいやなんら…!」
「でも、ほっておいたら、もっと痛みますよ?」
「いやなんらっ!らいたい、おまえが、あまいものをくわせるからら!」
かぶりをふって、椅子の上でますます小さくなる主。
「では…。僭越ながら、私めが歯の治療をしてもよろしいでしょうか」
「!!!!!!!」
「かつては歯科医の助手をしていたこともございました。……あれはいつの事だったでしょうね?」
「いやらっ、れったい、いやらっ!」
「ならばこれからすぐに馬車に乗って、市街の歯科医まで行きますかっ?」
「らめらっ。ばひゃのゆれは、たえられないっ。ほおっれおいれくれ!」
「いけませんっ、ますます痛くなって、なにも食べられなくなりますよ?」
「~~~~~ッ」
「坊ちゃん!」
「…わかっら。めいれいだっ、ぼくのはをなおせっ!!」
「yes,my patient」
「!!!!!!!」
なにがペイシェント(患者)だっ。医者じゃないだろっ、お前はっ!また僕をからかっているのかッと、ぎらぎらと憎しみの視線を向けるシエル。どこ吹く風とにこやかに執事は近づく。 白手袋を唇で脱ぎ、印のある手をさらす。シエルの眼の前でそれはみるみる形を変え、黒い爪が鉄のような鈍い輝きを放ち、その先端ははさみのように鋭く……。
「まてっ、れ、れ、れわすちゃん……」
「坊ちゃん、ペイシェントには、『犠牲者』という意味もありますよ?」
「!!!!!!!」
「では、坊ちゃん」
セバスチャンはシエルにおおいかぶさった。部屋は真夜中のように暗く、黒く、冷たく、黒い 羽が一面に舞い落ちる。
「◎×△*●+●××▼*+ーーーーッ(お前の犠牲になんてなりたくないっ、やめろ、やめろぉおおおッ)」
シエルの絶叫が屋敷中に響いた。

*****
「いかがです?歯の調子は?」
あれから3日後。抜歯した当日は熱が出て、眠れなかったシエルだが、いまはようやく普段の状態に戻っていた。
「……」
セバスチャンの問いかけに、むっとした顔で主人は黙っている。
──おやおや、随分とご機嫌を損ねてしまったようだ。
「痛くなかったでしょう?」
それもそのはず。抜く直前にシエルは失神してしまったのだから。おかげでこちらは大変に治療しやすかったですが、とセバスチャンは内心ほくそ笑んだ。
「本日のおやつは、仕切り直して、再び『ガレット・デ・ロワ』です。中には特製のフェーヴをお入れしました。飲み込まないようにお気をつけて下さいませ」
「ん」
シエルは綺麗に焼けたパイを口に入れる。バターの香りがかぐわしい。ひさしぶりのスイーツに、顔がほころぶ。不意にかちっと硬いものが歯に当たった。
「フェーヴ……だな」
口の中からフェーヴを取り出した。白い…なんだ?コレ…手の平の上で、フェーヴをためつすがめつする。これは。まさか。シエルは叫んだ。
「セバスチャン!!」
「はい」
すました声で執事は主人を見返す。手の平の上の白い物体をシエルは突き出した。
「これはっ、これは、なんだ?!」
「……嗚呼。それは坊ちゃんの歯でございます」
「!!!!!!」
「先日、抜いて差し上げたもの。せっかくですので、少し磨いて、入れてみました」
「お、お、お、お前っ!悪趣味にもほどがある!」
「さようでございますか?」
「ぼ、僕の歯をっ。歯でっ!歯っ!!こ、こ、この、悪魔っ!!」
にこっと悪魔は微笑んだ。燕尾服のテールを翻し、華麗に床にひざまづく。

「光栄でございます、坊ちゃん」

fin